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私とAIが描いた「もうひとつの三国志」第一弾 鳳雛の翼

私とAIが描いた「もうひとつの三国志」第一弾 鳳雛の翼 三国志関係
  1. 「もうひとつの三国志」 鳳雛の翼
  2. 序章 – 運命の矢
    1. 建安十九年(214年)夏 – 雒県城外
    2. 建安十九年(214年)夏 – 成都
  3. 第一章 – 二頭の鳳
    1. 建安十九年(214年)冬 – 成都・武担殿
    2. 建安十九年(214年)冬 – 建業・東呉の朝廷
    3. 建安十九年(214年)冬 – 許都・魏の宮廷
  4. 第二章 – 荊州の守り
    1. 建安二十年(215年)春 – 荊州・江陵
    2. 建安二十年(215年)春 – 建業
    3. 建安二十年(215年)夏 – 許都
  5. 第三章 – 漢中への道
    1. 建安二十一年(216年)春 – 成都・武担殿
    2. 建安二十一年(216年)夏 – 漢中・定軍山
    3. 建安二十一年(216年)秋 – 許都
  6. 第四章 – 二頭体制の試練
    1. 建安二十二年(217年)春 – 成都
    2. 建安二十二年(217年)夏 – 漢中北部
    3. 建安二十二年(217年)秋 – 成都
  7. 第五章 – 呉との同盟
    1. 建安二十三年(218年)春 – 建業
    2. 建安二十三年(218年)夏 – 成都
    3. 建安二十三年(218年)秋 – 許都
  8. 第六章 – 漢中王即位
    1. 建安二十四年(219年)春 – 成都・武担殿
    2. 建安二十四年(219年)夏 – 荊州・江陵
    3. 建安二十四年(219年)秋 – 夷陵
  9. 第七章 – 転換点
    1. 建安二十五年(220年)春 – 許都
    2. 建安二十五年(220年)夏 – 成都
    3. 建安二十五年(220年)秋 – 漢中北部
  10. 第八章 – 皇帝への道
    1. 延康元年(221年)春 – 成都
    2. 延康元年(221年)夏 – 成都・武担殿
    3. 延康元年(221年)秋 – 建業
  11. 第九章 – 共同北伐
    1. 延康二年(222年)春 – 建業
    2. 延康二年(222年)夏 – 上庸城外
    3. 延康二年(222年)秋 – 許都・魏宮
    4. 延康二年(222年)冬 – 成都
  12. 第十章 – 危機と転機
    1. 延康三年(223年)春 – 上庸
    2. 延康三年(223年)春 – 成都
    3. 延康三年(223年)夏 – 上庸
    4. 延康三年(223年)秋 – 成都
  13. 第十一章 – 運命の転換点
    1. 延康三年(223年)冬 – 成都
    2. 延康四年(224年)春 – 成都
    3. 延康四年(224年)夏 – 建業
    4. 延康四年(224年)秋 – 成都
    5. 延康四年(224年)冬 – 許都
    6. 延康五年(225年)春 – 武都郡国境
    7. 延康五年(225年)夏 – 成都
  14. 第十二章 – 内政と外交の調和
    1. 延康六年(226年)春 – 成都
    2. 延康六年(226年)夏 – 許都
    3. 延康六年(226年)秋 – 成都
    4. 延康六年(226年)冬 – 建業
    5. 延康七年(227年)春 – 成都
    6. 延康七年(227年)夏 – 上庸
  15. 第十三章 – 二輪の矢
    1. 延康七年(227年)秋 – 上庸
    2. 延康七年(227年)冬 – 陽平関前
    3. 延康七年(227年)冬 – 建業
    4. 延康八年(228年)春 – 長安近郊
    5. 延康八年(228年)夏 – 成都
    6. 延康八年(228年)秋 – 許都
    7. 延康九年(229年)春 – 建業
    8. 延康九年(229年)夏 – 成都
  16. 第十四章 – 長安への道
    1. 延康十年(230年)春 – 成都
    2. 延康十年(230年)春 – 建業
    3. 延康十年(230年)春 – 陽平関
    4. 延康十年(230年)春 – 長安城外
    5. 延康十年(230年)春 – 長安城内
    6. 延康十年(230年)春夜 – 長安城壁
    7. 延康十年(230年)夏 – 建業
    8. 延康十年(230年)夏 – 許都
    9. 延康十年(230年)秋 – 長安
    10. 延康十年(230年)冬 – 長安郊外
  17. 第十五章 – 洛陽への布石
    1. 延康十一年(231年)春 – 長安
    2. 延康十一年(231年)春 – 洛陽
    3. 延康十一年(231年)夏 – 長安
    4. 延康十一年(231年)夏 – 建業
    5. 延康十一年(231年)秋 – 長安郊外
    6. 延康十一年(231年)冬 – 長安
    7. 延康十一年(231年)冬 – 洛陽
    8. 延康十二年(232年)初春 – 長安
    9. 延康十二年(232年)初春 – 建業(孫呉の都)
    10. 延康十二年(232年)春 – 洛陽
    11. 延康十二年(232年)夏 – 長安
    12. 延康十二年(232年)秋 – 洛陽郊外
    13. 延康十二年(232年)晩秋 – 潼関近郊
    14. 延康十二年(232年)冬 – 長安
    15. 延康十三年(233年)春 – 洛陽
    16. 延康十三年(233年)夏 – 長安
    17. 延康十三年(233年)秋 – 長安
  18. 延康十三年 – 最終章「鳳凰の遺志」
    1. 延康十三年(233年)冬 – 長安
    2. 延康十四年(234年)春 – 長安
    3. 延康十四年(234年)初夏 – 魏領内・秘密行軍路
    4. 延康十四年(234年)初夏 – 洛陽近郊
    5. 延康十四年(234年)初夏 – 洛陽
    6. 延康十四年(234年)初夏 – 洛陽郊外
    7. 延康十四年(234年)秋 – 長安
    8. 延康十四年(234年)冬 – 長安・龐統の墓前
  19. 三国志のおすすめ小説!
  20. 三国志演義の小説を書き始めました!

「もうひとつの三国志」 鳳雛の翼

「臥龍と鳳雛」

関羽、張飛、趙雲といった猛将はいるが、策を練り、戦略を立てる軍師がいなかった劉備は、遂にふたりの天才軍師を傘下に入れた。

荊州南部を手中に収めた劉備軍団であったが、蜀平定戦で鳳雛を失ってしまう。
鳳雛とは、龐統、字は士元のことで、214年に雒県攻囲戦で流矢に当たり、戦死した。

もし龐統が戦死しなかったら、どんな歴史になっていただろうか?

そんな歴史の「if」を描いていきます。

 

序章 – 運命の矢

建安十九年(214年)夏 – 雒県城外

城壁の向こうから放たれた無数の矢が、黒い雨のように降り注いだ。

龐統は馬上で身をかがめ、素早く方向を変えた。
その瞬間、龐統の右耳元をかすめて一本の矢が飛び去った。
いつもなら何気なく通り過ぎるような出来事だったが、何かに導かれたかのように、龐統は不意に顔を上げた。

「士元!」

叫んだのは黄忠だった。
老将軍の目は龐統の背後を見据えていた。
龐統が振り返ると、城壁からもう一本の矢が一直線に迫っていた。

瞬時の判断だった。

龐統は鞍から身を投げ出し、地面に転がった。
矢は馬の首に突き刺さり、悲鳴を上げて崩れ落ちた。

「危ない!」

黄忠が駆け寄り、龐統を引き起こした。

「もう少しで大変なことになるところであった」

龐統は土埃を払いながら頷いた。

「軍師がこんな場所で戦死するわけにはいかんな」

「士元、退くぞ」

黄忠は自分の馬を譲った。

「今日はもう十分だ。明日、新たな作戦で」

龐統は馬に乗りながら、雒県の城壁を見上げた。
あと少し、もう少しで成都への道が開ける。
龐統は何かを悟ったように微かに笑った。

「運命というものはな、老将軍。時に糸一本で人の生死が決まるものだ」

 

建安十九年(214年)夏 – 成都

劉璋は宮殿の窓から、雨に煙る成都の街並みを眺めていた。

「もうすぐですな」

側近が小声で言った。

「劉備の軍が雒県を陥落させれば、次は間違いなく成都です」

「私はただ蜀の民を守りたかっただけだ」

劉璋の声は虚ろだった。

「なのに、どうしてこうなった」

側近は沈黙した。
主君に言うべき慰めの言葉が見つからなかった。

突然、伝令が飛び込んできた。

「報告! 雒県からの使者が到着しました!」

劉璋の目に一瞬の光が戻った。

「勝ったのか?」

伝令は頭を垂れた。

「いいえ。いよいよ雒県も持ちません。龐統という軍師が新たな包囲網を敷き、城の水源を断ちました。あと数日で陥落は避けられません」

劉璋はゆっくりと椅子に腰を下ろした。

「そうか…」

劉璋はもう一度窓の外を見た。
雨は止み、薄日が差し始めていた。

「私の運命も、この蜀の地も、もはや決まったようだな」

 

第一章 – 二頭の鳳

建安十九年(214年)冬 – 成都・武担殿

「成都開城」から一ヶ月が過ぎていた。

武担殿の広間で、劉備は新たに手に入れた蜀の領土の地図を囲み、側近たちと今後の策を練っていた。
天下三分の計は、いよいよ具体的な形となって動き始めていた。

「これで荊州と益州を手に入れました。次は漢中です」

諸葛亮は白い羽扇を広げながら言った。
そして、地図上の漢中を指した。

「漢中を制すれば、関中への足がかりになります」

「急ぎすぎるな」

龐統が口を挟んだ。

「まずは内政だ。益州の民心を掴まなければ、いくら領土を広げても砂上の楼閣だ」

二人の軍師の主張に、衆人の視線が劉備に集まった。
劉備は静かに頷き、両方を見た。

「両者とも正しい。だが今は…」

扉が開き、関羽が入ってきた。
その表情は険しかった。

「兄者、荊州から急報です。呉の魯粛が大軍を率いて荊州南部を窺っています」

広間に緊張が走った。
劉備と諸葛亮が目を合わせる。
共に北上を望んでいた矢先の南からの脅威。
だが、龐統は意外な提案をした。

「良い機会です」

「何だと?」

張飛が眉をひそめた。

「これを機に孫権と同盟を強化しましょう。敵は北にいる曹操です」

龐統は立ち上がり、荊州と揚州の境界を指した。

「ここで境界線を明確にし、曹操に対する共同戦線を提案するのです」

諸葛亮は龐統の提案に気づくと、ゆっくり頷いた。

「賛成です。孫権が最も恐れるのは、我々が曹操と手を組むことだ。互いに拮抗する力があるからこそ、同盟が成り立つ」

劉備は二人の軍師を見た。

「二人の知恵を合わせれば、天下も夢ではないな」

この日から「二頭の鳳」と呼ばれる体制が始まった。

軍事に長ける龐統と政治に優れた諸葛亮が、蜀漢の両輪となる時代の幕開けだった。

 

建安十九年(214年)冬 – 建業・東呉の朝廷

孫権は大広間で腕を組み、魯粛の報告を聞いていた。

「主君、我が軍は荊州南部での偵察を完了しました。蜀はすでに成都を手中に収め、急速に体制を整えています」

魯粛はさらに続けた。

「気になるのは、軍師の龐統です。流矢から逃れた龐統が劉備軍の態勢を一変させました。諸葛亮と二人で蜀の政治と軍事を支えております。」

「鳳雛か…」

孫権は顎に手をやった。

「龐統は死んだという報せがあったが、生きていたか」

「はい。そして龐統と諸葛亮が非常に脅威です。既に漢中王即位の準備も始めているとの情報があります」

孫権は沈黙した後、突然笑みを浮かべた。

「面白い。劉備には二人の軍師、曹操には司馬懿、そして我には魯粛と呂蒙…天下の英雄たちが集まる時代となったな」

このとき、若き将軍・陸遜が進み出た。

「主君、蜀からの使者が到着しています。龐統から直接の書状もあるとのことです」

孫権は眉を上げた。

「通せ」

使者が差し出した書状を、孫権はゆっくりと開いた。
読み終えると、大きく息を吐いた。

「龐統からだ。曹操に対する共同戦線を提示している。荊州の境界も明確にし、互いに侵犯しないことを誓うという」

魯粛は表情を引き締めた。

「罠かもしれません」

「いや」

孫権は首を振った。

「これは誠の申し出だ。我々の真の敵は北方の曹操だ。今は蜀と手を組んでも良かろう」

陸遜が進み出た。

「私も賛成します。蜀は内政に注力したいはずです。我らが荊州を脅かせば、蜀は北進できず、結果的に曹操を利することになります」

孫権は陸遜を見て頷いた。

「若いが見識が深い。魯粛、この交渉を進めよ」

「はい」

魯粛は答えたが、その眼差しには複雑な感情が宿っていた。

 

建安十九年(214年)冬 – 許都・魏の宮廷

「南方からの報告です」

司馬懿は低い声で曹操に告げた。
宮殿の大広間は人が少なく、声が反響した。

「劉備は成都を制圧し、漢中王に即位する準備を始めています。また、龐統と諸葛亮が呉に接近し、孫権との同盟も強化したとの情報があります」

曹操は酒杯を回しながら考え込んだ。

「龐統は死んだはずではなかったのか?」

「雒県での戦いで危うく死にかけましたが、黄忠に救われたとのことです」

司馬懿は答えた。

「龐統が劉備軍の侵攻を早めています」

曹操は静かに笑った。

「運命の糸は細いものだな。一本の矢が歴史を変えるか」

「さらに問題なのは、孫権との同盟です」

荀攸が言葉を継いだ。

「南方の二勢力が結束すれば、我らは南征に大きな犠牲を強いられます」

曹操は立ち上がり、窓辺に歩み寄った。
北方から吹きつける風が彼の衣を揺らした。

「今は南を気にしている場合ではない」

曹操は北を見据えた。

「匈奴と反乱軍が我らの背後を脅かしている。まずはそちらを鎮圧する」

司馬懿は曹操の決断に驚いた様子はなかった。

「では漢中は?」

「夏侯淵に命じて守りを固めさせる。今は南進しない」

曹操は振り返った。

「むしろ、孫権に接近してみよう。劉備を孤立させるのだ」

司馬懿は静かに頷いた。

「孫権への提案はどのようなものを?」

「江南二郡の割譲と、対劉備戦での支援を約束しよう」

曹操はわずかに笑みを浮かべた。

「孫権の野心が、呉蜀同盟に亀裂を入れるやもしれんぞ」

 

第二章 – 荊州の守り

建安二十年(215年)春 – 荊州・江陵

関羽は江陵の城壁に立ち、東方を凝視していた。
長い髭が風に揺れる。

「公、敵の動きに変化はありません」

将兵が報告した。

「魯粛の軍は南郡の境界線沿いに配置されていますが、攻撃の気配はありません」

関羽は顎の髭をなでながら首をかしげた。

「様子見か…それとも他に策があるのか」

江陵の大広間では、龐統が地図を広げていた。
昨夜、諸葛亮から託された密書を手に、荊州防衛の新たな戦略を練っていた。

「魯粛は動かない」

龐統は関羽に言った。

「奴らは我らが真っ先に漢中へ向かうと考えている。それが我らの本当の目的であれば、荊州は二の次になる。だが…」

龐統は笑みを浮かべた。

「我らの目的は、まず荊州を固めることだ」

「だからわしがここにいるのか」

関羽は腕を組んだ。

「そのとおりです。関将軍がここにいるだけで、魯粛は軽々しく動けない」

龐統は地図上に線を引いた。

「さらに、これらの地点に防衛線を敷き、荊州全域に我らの支配が及んでいることを示す」

「なるほど」

関羽は頷いた。

「しかし、曹操が南下したらどうする?」

「その心配はありません」

龐統は北方を指した。

「諸葛亮の計略により、曹操は匈奴の反乱に頭を悩ませている。曹操は今、南どころではありません」

関羽は龐統をじっと見た。

「士元、お前の戦略は張良でさえ唸らせたぞ。知略においては孔明と双璧だ」

「過ぎたお言葉」

龐統は笑ったが、その眼差しには確かな自信があった。

「我らはただ、劉備殿の仁政のために知恵を絞っているだけです」

 

建安二十年(215年)春 – 建業

「魯粛、なぜ動かない?」

孫権は問うた。

「これは絶好の機会ではないか」

魯粛は冷静に答えた。

「主君、荊州は関羽が守っています。奴は常に警戒を怠らず、また背後の魏延も侮れません。さらに、荊州全域に龐統の指示による防衛線が張り巡らされています」

孫権は額に手をやった。

「そうか…」

「さらに、曹操からの使者が到着しています」

魯粛が報告した。

「江南二郡の割譲と、劉備討伐の援助を申し出ているとのことです」

孫権は眉を寄せた。

「曹操め、我らを分断しようというわけか」

魯粛は静かに言った。

「これは、蜀が強くなっている証拠でもあります。曹操でさえ、蜀を警戒しているのです」

部屋の隅から、若き参謀・陸遜が一歩前に出た。

「主君、私は蜀との同盟継続を提案します」

「なぜだ?」

「龐統と諸葛亮は、我らが想像する以上に脅威です」

陸遜は静かに言った。

「奴らは内政と軍事を同時に強化しており、数年後には大きな脅威となるでしょう。しかし、今はまだ我らと手を組む方が蜀にも利があります」

魯粛は陸遜を見つめた。

「では我らは何もせずに、蜀が強くなるのを待つのか?」

「いいえ」

陸遜は首を振った。

「我らも同様に内政を固め、準備を整える。そして…共同北伐の可能性を探るのです」

孫権は興味深そうに陸遜を見た。

「共同北伐?」

「はい。曹操を共通の敵とし、その領土を分け合う提案です。これなら蜀にとっても魅力的なはずです」

孫権はしばらく考え込んだ後、ゆっくりと立ち上がった。

「伯言、お前の案を採用しよう。魯粛、蜀との交渉をお前に任せる」

魯粛は黙って頷いたが、その目には複雑な感情が宿っていた。

 

建安二十年(215年)夏 – 許都

曹操は朝議の後、司馬懿を呼び止めた。

「仲達よ、南方の情勢はどうだ?」

司馬懿は低い声で答えた。

「呉は我らの提案に乗りませんでした。むしろ蜀との同盟を強化する動きが見られます」

曹操は怒りを見せなかった。
むしろ予想通りという表情だった。

「そうか。やはり南方の二勢力は結束したか」

「さらに、蜀は益州の統治を急速に安定させています。龐統と諸葛亮が働きかけているようです」

曹操は窓から外を見た。

「あの二人か…かつて司馬徽が『臥龍と鳳雛』と評した二人だ。やつらがおれば、確かに手強い」

司馬懿は静かに問うた。

「ではどうされますか?」

「北方の敵を先に倒す」

曹操は決然と言った。

「匈奴と反乱軍を鎮圧してから、南征を考える」

司馬懿は曹操の決断に頷いた。

「漢中は?」

「夏侯淵に守らせる。しかし…」

曹操は司馬懿をじっと見た。

「漢中は長くは持たんだろう。劉備が狙っているのは明らかだ」

司馬懿は曹操の先を見通す力に感服していた。

「御意」

 

第三章 – 漢中への道

建安二十一年(216年)春 – 成都・武担殿

「漢中への道は開かれました」

諸葛亮が報告を終えると、広間に緊張が満ちた。
劉備は地図を見つめ、ゆっくりと頷いた。

「いよいよ我らは北へ進む時が来たか」

龐統は劉備の横に立ち、漢中を指した。

「漢中王を名乗るなら、実際に漢中を手中に収めるべきです。ここを制すれば、関中へも近く、また魏を牽制する最適の地となります」

諸葛亮は同意した。

「士元の言葉に誤りはありません。漢中こそが我々の次なる目標です」

馬超が進み出た。

「私に先陣を任せてください。故郷に近い地、必ずや功を立てましょう」

劉備は馬超に頷き、次に張飛を見た。

「翼徳、お前も行ってくれ。馬超の勢いと、お前の武勇があれば、漢中は我らのものだ」

張飛は力強く答えた。

「任せてください、兄者!」

諸葛亮が言った。

「私は内政を固めます。いよいよ国としての基盤を整える時です。新たな税制度の導入も考えています」

龐統は諸葛亮を見た。

「では私は漢中へ同行し、現地での軍事指揮を執りましょう」

劉備は二人の軍師を見た。

「二人とも互いの役割を理解しているな。これこそが我が蜀の強みだ」

広間を出た後、龐統と諸葛亮は中庭で二人きりになった。

「漢中攻略は容易ではない」

諸葛亮が言った。

「夏侯淵は曹操の片腕、侮れぬ相手だ」

龐統は微笑んだ。

「知っている。だが、私には策がある」

「聞かせてくれ」

「夏侯淵は守りを固めているが、武都と漢中の間には隙がある。そこを馬超の騎兵で切り込み、補給路を断つ」

諸葛亮は頷いた。

「なるほど。夏侯淵を孤立させるわけだな」

「そうだ。そして張飛の猛攻で正面から押し、私は側面から仕掛ける」

龐統は自信を持って言った。

「一ヶ月以内に漢中は落ちるだろう」

諸葛亮は友を見つめた。

「気をつけてくれ、士元。あなたがいなければ、私一人では劉備殿を支えきれない」

龐統は笑った。

「心配するな。雒県の矢をくぐり抜けた私だ。簡単には死なん」

 

建安二十一年(216年)夏 – 漢中・定軍山

定軍山の麓で、激しい戦いが続いていた。

「進め!」

張飛の怒号が戦場に響き渡る。

「漢中は我らのものだ!」

張飛の猛攻に押され、魏軍は少しずつ後退していた。
山の中腹からは、龐統が全体の戦況を見渡していた。

「報告!」

伝令が駆け寄った。

「馬超将軍が武都からの補給路を断ちました!夏侯淵軍は孤立状態です!」

龐統は満足げに頷いた。

「よし。これで勝機は十分だ。張飛に伝えろ、全軍突撃だ」

しかし、その時、龐統の背後から別の伝令が走ってきた。

「大変です!

魏の増援軍が北から迫っています!」

「何?」

龐統は驚いて振り返った。

「曹操が兵を寄越したのか?」

「いいえ、夏侯淵の密命で事前に配置されていた伏兵です。約一万の兵が山の反対側から迫っています!」

龐統は冷静さを失わなかった。

「我らも伏兵を用意している。魏延に伝えろ、すぐに出陣せよと」

戦いは一層激しさを増した。
龐統自身も前線に出て指揮を執った。
的確な判断と柔軟な戦術によって、魏軍の伏兵は撃退され、ついに夏侯淵は降伏した。

夕暮れ時、定軍山の頂に蜀の旗が翻った。

張飛は血と汗にまみれながら、龐統に近づいた。

「軍師殿の戦略通りだった。見事だ!」

龐統は疲れた表情で微笑んだ。

「これで漢中は我らのものです。劉備殿は名実ともに漢中王となられる」

遠くから馬超も駆けつけてきた。

「勝ったぞ!」

三人は夕日に染まる漢中の地を見下ろした。
蜀漢の北進はいよいよ本格化しようとしていた。

 

建安二十一年(216年)秋 – 許都

「漢中が落ちた」

司馬懿の報告を聞き、曹操は静かに目を閉じた。
予想された事態とはいえ、心穏やかではなかった。

「夏侯淵は?」

「捕虜となりましたが、龐統の計らいで厚遇され、すでに帰還の途上です」

曹操は眉を上げた。

「龐統…やつらは賢い。捕虜を返すことで仁を示し、民心を得る」

司馬懿は続けた。

「劉備はすでに漢中王を名乗り、益州と荊州、そして漢中を治める体制を整えています。諸葛亮は内政、龐統は軍事と明確に役割分担をしているようです」

曹操は立ち上がり、北方を見た。

「我らも黙ってはおられん。来春には赤壁の戦い以来の大軍を編成し、漢中奪還を目指そう」

「しかし主公」

荀攸が進言した。

「北方の匈奴がまだ完全には鎮圧されておらず、また各地の反乱も続いています」

曹操は手を振った。

「わかっておる。だが、このまま劉備を強大化させるわけにはいかん」

司馬懿が静かに口を開いた。

「主公、ここは別の手段を」

「何だ?」

「主公は『魏王』となるべきです」

司馬懿は言い切った。

「漢王朝の権威を借りれば、天下の大義名分は我々にあります。劉備は単なる地方の王に過ぎません」

曹操は考え込んだ。

「魏王か…」

「はい。もはや実質的には我らが中原を治めています。名目上でも権威を確立すれば、北伐も正当化できます」

曹操はゆっくりと頷いた。

「よかろう。帝に奏上せよ。我ら曹氏、ここに魏の国を興す」

 

第四章 – 二頭体制の試練

建安二十二年(217年)春 – 成都

諸葛亮は深夜まで公務に追われていた。
租庸調制の導入や、各地の農業振興策など、諸葛亮の政策は着実に蜀漢を豊かにしていた。

「孔明」

振り返ると、龐統が立っていた。
久しぶりの再会に、諸葛亮は羽扇を置いて立ち上がった。

「士元、漢中から戻ったのか」

「ああ。漢中の防衛体制も整った」

龐統は疲れた表情で言った。

「しかし、曹操が魏王に即位したとの報が入った」

諸葛亮は静かに頷いた。

「予想通りだ。我らが漢中を制したことへの対抗策だろう」

「それだけではない」

龐統は地図を広げた。

「曹操は北方の鎮圧に目途をつけ、明年には大軍で南下してくる可能性が高い」

諸葛亮は表情を引き締めた。

「そうか…我らも準備が必要だな」

「いや、先手を打つべきだ」

龐統は決然と言った。

「北伐だ」

「北伐?」

諸葛亮は驚いた。

「まだ早すぎるのでは?」

「今こそ好機だ」

龐統は地図上の長安を指した。

「曹操は魏王として即位したばかりで、内政に手一杯だ。我らが漢中から長安への街道を一部でも制圧できれば、戦略的優位に立てる」

諸葛亮は黙って考え込んだ。

「確かにそうだが…」

「心配するな」

龐統は自信に満ちた表情で言った。

「我らは今、蜀漢としての体制を整えている最中だ。だが、曹操は我々よりも早く行動するだろう。先制攻撃こそが最良の防御だ」

諸葛亮は友の言葉を深く考えた。
羽扇を手にとり、静かに空気を揺らした。

「士元の戦略は理にかなっている。だが、内政がまだ安定していない」

「だからこそ、内政と外征を同時に進めるべきだ」

龐統は熱を帯びた声で言った。

「孔明、私はあなたを信頼している。あなたが内政を固めている間、私は北の防衛線を整える」

二人は互いを見つめ、やがて諸葛亮は微笑んだ。

「士元、君の言う通りだ。ただし、無理はするな。小規模な偵察戦から始めよう」

「もちろんだ」

龐統も笑顔を返した。

「まずは長安への街道の一部を制圧し、漢中の防衛線を強化する。本格的な北伐は、その後だ」

二人は手を取り合った。「二頭の鳳」と呼ばれる二人の軍師の連携が、蜀漢の未来を支えていた。

 

建安二十二年(217年)夏 – 漢中北部

「敵影、北方から接近中!」

偵察兵の報告に、龐統は地図から顔を上げた。
漢中と長安の間にある山間に陣を敷いていた。

「どのくらいの兵だ?」

「約五千、大将は夏侯淵と思われます」

龐統は目を細めた。

「夏侯淵か…」

龐統の横で、魏延が剣の柄に手をやった。

「迎え撃ちましょう。私の精鋭部隊なら、夏侯淵など恐れるに足りません」

「いや、待て」

龐統は魏延の肩に手を置いた。

「我らはまだ長安への街道を完全に掌握していない。ここで大規模な衝突は避けたい」

「では、どのように?」

龐統は地図を見つめ、指で山脈の間の細い道を辿った。

「ここだ。我らはこの山道を通って迂回し、夏侯淵の後方を突く。補給を断ち、小規模な勝利を重ねる」

魏延は納得できない様子だったが、黙って頷いた。

三日後、龐統の策は成功した。
山道を通って迂回した蜀軍は、魏軍の補給隊を奇襲し、大きな戦果を上げた。
夏侯淵は止む無く撤退し、漢中北部の小さな要所を蜀軍に明け渡した。

龐統はその夜、成都に書簡を送った。

『孔明。我が軍、長安街道の重要地点を確保。夏侯淵撤退。大規模な衝突は避け、小さな勝利を積み重ねている。内政の進捗を待つ。』

 

建安二十二年(217年)秋 – 成都

諸葛亮は龐統からの書簡を読み終えると、満足そうに頷いた。
諸葛亮の前には、新たに整備された租庸調制の法案が広げられていた。

「諸葛丞相」

馬謖が進み出た。

「新税制の草案が完成しました。これにより農民の負担は軽減され、国庫の収入も安定します」

諸葛亮は草案を手に取り、熟読した。

「素晴らしい。これを早速、劉備殿に上奏しよう」

その時、劉備が広間に入ってきた。
劉備は漢中での勝利報告を受け、喜びに満ちた表情だった。

「孔明、これは朗報だな。士元の戦略が功を奏している」

「はい、主君」

諸葛亮は頭を下げた。

「士元は長安街道の重要地点を確保しました。小規模な勝利を重ねながら、着実に我らの勢力圏を広げています」

劉備は満足げに頷いた。

「そして内政は?」

「こちらも進捗があります」

諸葛亮は新税制の法案を差し出した。

「この租庸調制により、民の負担は軽減され、国力も増します」

劉備は黙って法案に目を通した。

「孔明、士元…二人の力があれば、我が蜀漢はますます強くなる」

諸葛亮は静かに言った。

「しかし主君、私は一つ懸念を抱いています」

「何だ?」

「士元は功を急ぎすぎるかもしれません。戦略は正しいですが、時に熱意が危険に導く可能性があります」

劉備は考え込んだ。

「確かに士元は果敢だ。だが、それが強みでもある」

「はい。だからこそ、我らが支える必要があります」

諸葛亮は厳かに言った。

「私は内政を急ぎ、前線に必要な兵糧と兵を送ります」

劉備は諸葛亮の肩に手を置いた。

「二頭の鳳が互いを支え合う。これこそ我が蜀漢の強さだ」

 

第五章 – 呉との同盟

建安二十三年(218年)春 – 建業

孫権は宮殿の窓から外を見つめていた。
東呉の春は美しく、海からの風が城内に清々しさをもたらしていた。

「主君」

魯粛が静かに近づいた。

「蜀からの使者が到着しています」

孫権は振り返った。

「蜀? どのような用件だ?」

「龐統からの親書です。蜀は曹操に対する共同戦線を再度提示してきております」

孫権は興味を示した。

「龐統自らの書か。読んでみよ」

魯粛は封を切った書簡を広げた。

『東呉の君主、孫権殿へ。 蜀漢の龐統、字は士元と申します。北方では曹操が魏王として即位し、さらなる覇権を握ろうとしています。我ら蜀漢は漢中から長安への道を開き始めました。今こそ、呉と蜀が手を組むべき時です。曹操打倒という共通の目的に向け、共同北伐を提案します。まずは偵察戦から始め、互いの力を示し合いましょう。』

孫権は黙って考え込んだ。

「子敬、お前はどう思う?」

魯粛は慎重に言葉を選んだ。

「龐統は賢明な軍師です。この提案には理があります。しかし…」

「しかし?」

「蜀が真に同盟を望んでいるか、確かめる必要があるでしょう」

この時、陸遜が進み出た。

「主君、私は龐統の提案に賛成です。蜀漢は北方で曹操と対峙している。これは我々にとって好機です」

孫権は二人の意見を聞き、しばらく黙って考えた。

「では、子敬」

孫権は決断した。

「お前を蜀へ派遣する。龐統と直接会い、この同盟の詳細を話し合ってくれ」

魯粛は頭を下げた。

「承知しました」

魯粛は複雑な表情であった。

魯粛は龐統の才能を知っており、蜀が強大化することへの懸念を抱いていた。
しかし、今は曹操という共通の敵に対抗する時であることも理解していた。

 

建安二十三年(218年)夏 – 成都

「子敬、久しぶりだな」

龐統は成都の迎賓館で魯粛を迎えた。
二人は以前から面識があり、互いを尊重していた。

「士元、元気そうだな」

魯粛は笑みを浮かべた。

「噂では、お前は死んだとも聞いていたぞ」

龐統も笑った。

「一本の矢で私が死ぬと思ったか? 世間の噂など当てにならんよ」

二人は杯を交わしながら、和やかに言葉を交わした。
しかし、本題に入ると、表情は厳しくなった。

「では、共同北伐の件だが」

魯粛が切り出した。

「我が主君は興味を示している。だが、いくつかの条件がある」

「聞こう」

「まず、荊州の境界を明確にすること。次に、互いの領土不可侵を誓うこと。そして最も重要なのは、北伐の成果をどう分け合うかだ」

龐統は頷いた。

「すべて理にかなっている。荊州の境界はすでに関羽が守っている線で確定しよう。互いの領土不可侵は当然として…北伐の成果については」

龐統は地図を広げ、中原の地を指した。

「曹操打倒後、魏の支配地は大きく三つに分けられる。北方は我々にとって遠すぎる。呉が治めるのが合理的だろう。逆に西方は我ら蜀が引き受ける。そして中央の要所、許都や洛陽などは…」

「共同統治か?」

魯粛が提案した。

「いや」

龐統は静かに言った。

「そこには漢の都があった。我が主君、劉備殿こそが漢の血を引く正統な後継者だ。許都は劉備殿に治めていただきたい」

魯粛は黙って考え込んだ。

「難しい要求だな…」

「だが、理にかなっているだろう?」

龐統は穏やかに続けた。

「許都の支配権は形式的なものであり、実際の統治は共同で行う。そして、その周辺の豊かな土地は呉に割譲する」

魯粛はゆっくりと頷いた。

「持ち帰って検討しよう。しかし、士元、一つ確かめたい」

「何だ?」

「この同盟は本物か? お前たちは本気で呉と手を組むつもりなのか?」

龐統は真剣な表情で答えた。

「もちろんだ。呉がなければ、蜀一国で曹操に勝つことはできない。それは諸葛亮も、劉備殿も十分理解している」

魯粛は龐統の目を見つめ、その言葉に偽りがないことを確かめると、安堵の表情を見せた。

「わかった。私も全力で主君を説得しよう」

 

建安二十三年(218年)秋 – 許都

「呉と蜀が再び手を組んだか」

曹操はこの報告を聞き、静かに笑った。
曹操は魏王となり、ますます北方を固めていた。

「そのとおりです」

司馬懿が答えた。

「魯粛が成都を訪れ、龐統と会談しました。共同北伐の計画を立てているようです」

曹操は考え込んだ。

「龐統…諸葛亮…二人の軍師が協力すれば、確かに脅威だ」

「して如何に?」

荀攸が問うた。

「北方の鎮圧を急ぐ」

曹操は決然と言った。

「匈奴と反乱軍をすべて平定し、南方に備える」

曹操は窓から北を見た。

「そして、息子たちの教育を急がねばならん。特に丕と植、二人には魏の未来を託す」

司馬懿は静かに頷いた。
司馬懿は曹操の先見の明を認めていた。

「そして南方には?」

荀攸が再び問うた。

「夏侯淵に命じて漢中の警戒を強化させる」

曹操は言った。

「しかし、大規模な南征はまだ行わない。龐統の戦略は小規模な勝利を積み重ねることだと聞く。我らもそれに倣い、小さな勝利を積み重ねていこう」

司馬懿は曹操の戦略を理解し、黙って頷いた。
龐統と諸葛亮の脅威を感じていた。
しかし同時に、曹操の冷静さが魏を救うことも確信していた。

 

第六章 – 漢中王即位

建安二十四年(219年)春 – 成都・武担殿

武担殿は多くの高官や将軍で埋め尽くされていた。
この日、劉備は正式に漢中王として即位する儀式を執り行うことになっていた。

龐統と諸葛亮は劉備の両脇に立ち、厳かに儀式の進行を見守っていた。

「我、劉備は、漢の血を引く者として、ここに漢中王に即位する」

劉備の声が大広間に響き渡った。

「先帝の意志を継ぎ、漢王朝の復興を誓う」

王冠が劉備の頭に置かれると、広間から大きな歓声が上がった。

儀式の後、龐統と諸葛亮は静かな中庭で二人きりになった。

「これで正式に王となられた」

諸葛亮が言った。

「次は皇帝即位への道だ」

龐統は遠くを見つめ、静かに言った。

「そのために我らは準備を整えねばならぬ。孔明、内政はどうだ?」

「租庸調制は順調に機能し始めている。民衆たちからの評判も上々だ」

諸葛亮は答えた。

「また、各地に学校を建設し、人材育成も進めている」

「素晴らしい」

龐統は頷いた。

「私の方は、漢中から長安への道を少しずつ開いている。夏侯淵の軍と小競り合いを繰り返しているが、我らは着実に地歩を固めている」

諸葛亮は友の肩に手を置いた。

「士元、無理はするな。お前一人に頼りすぎている部分がある」

龐統は笑った。

「心配するな。私には魏延や馬超がいる。やつらは優秀な将軍だ」

諸葛亮は頷いたが、その目には心配の色が残っていた。

「それにしても…夷陵の件はどうする?」

「夷陵?」

「ああ。呉との同盟は続いているが、呂蒙は常に荊州を狙っている。関羽は奴を警戒している」

龐統は真剣な表情になった。

「夷陵は避けるべきだ。そこでの衝突は、呉蜀同盟を破壊する」

「同感だ」

諸葛亮は頷いた。

「関羽に厳命して、挑発に乗らないよう伝えよう」

「それがいい」

龐統は同意した。

「曹操が魏王となった今、我々にとって呉との同盟は不可欠だ」

二人は再び空を見上げた。
蜀漢の未来は、この「二頭の鳳」の連携にかかっていた。

 

建安二十四年(219年)夏 – 荊州・江陵

「呂蒙め…」

関羽は怒りを込めて呟いた。
呉から届いた書状には、荊州南部の割譲を求める内容が記されていた。

「公、どうなさいますか?」将校が尋ねた。

関羽は長い髭をなでながら、考え込んだ。

「兄者と軍師殿の命令は明確だ。呉との衝突は避けよ、とな」

「しかし、このまま呉の要求を受け入れては…」

「受け入れるとは言っていない」

関羽は静かに立ち上がった。

「私から龐統殿に書を送る。この状況を報告し、指示を仰ごう」

数日後、龐統からの返信が届いた。

『関将軍へ。 呂蒙の要求は拒絶せよ。しかし、武力衝突は絶対に避けよ。夷陵での会談を提案せよ。私自ら出向き、呂蒙と直接交渉する。』

関羽は書を読み終え、頷いた。

「龐統殿の通りにしよう。呉に使者を出し、夷陵での会談を提案せよ」

部下たちは関羽の冷静な対応に安堵した。
関羽の勇猛さを知っていたが、同時に忠義も知っていた。
劉備と軍師たちの命令があれば、関羽は必ずそれに従う。

 

建安二十四年(219年)秋 – 夷陵

川霧が立ち込める夷陵の河畔で、二つの船が向かい合って停泊していた。

一方の船には龐統が、もう一方には呂蒙が乗っていた。
二人の軍師は中央に設えられた仮設の会議場で向き合っていた。

「久しぶりだな、子明」

龐統は微笑んだ。

「雌雄の双剣と呼ばれた時代を思い出す」

呂蒙も礼儀正しく頷いた。

「士元、お前が生きていたとは…運命の妙だな」

互いを称え合った後、二人は本題に入った。

「荊州南部の割譲は認められない」

龐統は静かに、しかし毅然と言った。

「現在の境界線は、すでに両国の君主が認めたものだ」

呂蒙は険しい表情を見せた。

「しかし、荊州はもともと我が呉の地だった。劉備は客将に過ぎなかったはずだ」

「それは過去の話」

龐統は冷静に返した。

「今や劉備殿は漢中王だ。そして我らは共同北伐を計画している。こんな時に内輪揉めをすれば、誰が喜ぶか?」

呂蒙は言葉に詰まった。

「曹操だ」

龐統が答えを述べた。

「我らが争えば、曹操だけが笑う」

沈黙が流れた後、龐統は新たな提案をした。

「荊州は現状維持。その代わり、共同北伐で得る領土については、呉により多くの取り分を認めよう。特に揚州の全域と徐州の大部分を」

呂蒙は目を見開いた。

「それは…かなり大きな譲歩だな」

「譲歩ではない」

龐統は静かに笑った。

「合理的な配分だ。呉は東方の海に面した国。そちらの領土を治めるのが自然だろう」

呂蒙はしばらく考え込み、やがて頷いた。

「持ち帰って検討しよう…だが、個人的にはこの提案に賛成だ」

二人は杯を交わし、会談は穏やかに終わった。

船に戻った龐統は、川の流れを見つめながら深い安堵感を覚えた。
夷陵の戦いを回避できた。
これにより、蜀漢の歴史は大きく変わるだろう。

 

第七章 – 転換点

建安二十五年(220年)春 – 許都

北風が冷たく吹き付ける中、許都の宮殿には重い空気が漂っていた。

「魏王の容態は?」

曹丕が宮殿の廊下で側近に尋ねた。
曹操は数日前から重い病に伏せていた。

「非常に厳しい状況です。医師たちは…」

側近は言葉を濁した。

曹丕は静かに頷き、父の寝室へと向かった。
部屋に入ると、弟の曹植も既に来ていた。
兄弟は言葉を交わさず、ただ父の寝台を囲んだ。

曹操は息も絶え絶えだったが、意識はあった。
曹操は弱々しく曹丕に手招きした。

「丕よ…」

「父上」

曹丕は膝をついた。

「私の後を継ぐのはお前だ…」

曹操の声はかすれていた。

「魏を…頼む」

「はい、父上」

「そして…」

曹操は急に声に力を込めた。

「龐統と諸葛亮…二人に警戒せよ…」

曹丕は黙って頷いた。

「奴らが生きている限り…劉備は手強い…」

それが曹操の最後の言葉となった。

曹操はゆっくりと目を閉じ、長い息を吐いて動かなくなった。

廊下から悲痛な声が響き、曹操の死が知らされた。

数日後、曹丕は魏王の位を継承した。
そして曹丕の心には、父の最後の言葉が深く刻まれていた。

 

建安二十五年(220年)夏 – 成都

「曹操が死んだ」

諸葛亮の報告に、武担殿の広間は静まり返った。
劉備は表情を変えず、静かに頷いた。

「そして曹丕が後を継いだと」

「はい」

諸葛亮は続けた。

「さらに、曹丕は漢帝から魏王の位を譲られるとの噂があります」

龐統が口を開いた。

「これは重大な転機です。曹丕が禅譲を受ければ、皇帝となる。漢王朝は名実ともに終わるのです」

劉備は静かに立ち上がった。

「それはならん。漢の血を引く者として、私には責務がある」

「主君」

諸葛亮が進言した。

「ならば、我らも次の一手を打つべきです。漢中王から、皇帝へ」

広間に緊張が走った。
皇帝位の話は、これまでも水面下であったが、公の場で語られたのは初めてだった。

「諸葛亮の言う通りです」

龐統が同意した。

「曹丕が皇帝を名乗れば、名分上も我らが動くべき時です」

劉備はしばらく考え込み、やがて決然と言った。

「よかろう。準備を始めよ」

諸葛亮と龐統は互いに目配せし、頷き合った。
二人は既に皇帝即位の準備を始めていた。

「しかし」

劉備は二人の軍師を見た。

「その前に、北伐を進めねばならん。漢中から長安への道を確実にし、名実ともに三分の計を実現するのだ」

龐統は力強く答えた。

「私がその任を果たします。長安への道を開き、三国鼎立の基盤を固めましょう」

劉備は満足げに頷いた。

蜀はいよいよ新しい時代へと踏み出そうとしていた。

 

建安二十五年(220年)秋 – 漢中北部

「進め!」

龐統の指示で、蜀の軍勢が漢中から北へと進んでいた。
蜀の目標は、長安への道を握る重要拠点だった。

「士元」

魏延が馬を並べた。

「敵の様子はどうだ?」

「夏侯淵が守っている」

龐統は答えた。

「約一万の兵だ」

「奇襲で攻めましょう」

魏延は提案した。

「夜陰に紛れて…」

龐統は首を振った。

「いや、今回は正面から挑む。曹操亡き今、魏軍の士気は揺らいでいる。我らが堂々と攻めれば、魏の動揺はさらに深まるだろう」

作戦は決行された。
蜀軍は正面から攻め込み、魏軍を圧倒した。
夏侯淵は勇猛に戦ったが、城は陥落し、撤退を余儀なくされた。

制圧した龐統は、城壁から北を見た。
長安まではまだ遠いが、確実に近づいていた。

「報告を成都に送れ」

龐統は部下に命じた。

「城陥落。長安への道、半ばとなる、と」

龐統は空を見上げた。
雲一つない青空が広がっていた。
龐統は微笑んだ。

龐統の人生も、蜀漢の未来も、晴れ渡っているように思えた。

 

第八章 – 皇帝への道

延康元年(221年)春 – 成都

「曹丕、ついに禅譲を受けたか」

劉備は諸葛亮の報告を聞き、深く息を吐いた。劉備の表情には怒りと決意が混じっていた。

「はい」

諸葛亮は厳かに答えた。

「曹丕は皇帝を名乗り、国号を魏としました。これにより、漢王朝は名目上も終わりました」

龐統が進み出た。

「主君、今こそ我らも動くべき時です。漢の血を引く正統な後継者として、皇帝の位に即くべきです」

広間に集まった文武百官が一斉に頷いた。
蜀の重臣たちは皆、この瞬間を待ち望んでいた。

劉備はゆっくりと立ち上がり、広間を見渡した。
劉備の目には、長い旅路の疲れと、これから担う重責への覚悟が宿っていた。

「よかろう」
劉備は静かに告げた。

「先帝の志を継ぎ、漢の再興を果たす。私はここに皇帝の位に即くことを決意する」

諸葛亮と龐統は互いに目を交わし、満足げに頷いた。
ふたりが描いた計画は、着実に実を結びつつあった。

「儀式の準備を始めよ」

諸葛亮は命じた。

「また、各地の諸侯や将に使者を送り、我らの決意を伝えるのだ」

龐統が付け加えた。

「孫権には早急に知らせるべきです。呉もまた、曹丕への対抗として動くでしょう」

劉備は二人の軍師を見つめ、

「頼むぞ」

と静かに言った。

劉備の心には、漢の血を引く者としての責任感と、蜀漢の未来への希望が交錯していた。

 

延康元年(221年)夏 – 成都・武担殿

黄色の幕が風に揺れる中、武担殿は厳かな雰囲気に包まれていた。
この日、劉備は正式に蜀漢の皇帝として即位する儀式を執り行うことになっていた。

龐統と諸葛亮は、劉備の即位式のために特別に設えられた壇の両脇に立っていた。
ふたりの表情には、長年の苦労が報われる満足感が浮かんでいた。

儀式は古来の伝統に則って進められた。
劉備は漢の正統な後継者として、黄色の龍袍を身にまとい、玉璽を授かった。

「私、劉備は、漢の血脈を継ぐ者として、ここに蜀漢の初代皇帝に即位する」

劉備の声が広間に響き渡った。

「先帝の遺志を継ぎ、天下統一を成し遂げることを誓う」

百官が一斉に拝礼し、

「万歳、万歳、万万歳!」

と叫んだ。

蜀漢の建国はここに成った。

儀式の後、新帝となった劉備は、龐統と諸葛亮を枢密室に呼び寄せた。

「二人には心から感謝する」

劉備は誠実な口調で言った。

「ここまで来られたのは、軍師殿の力があってこそだ」

「主君」

諸葛亮は頭を下げた。

「これはほんの始まりに過ぎません。我らの真の目標は北伐で魏を倒し、漢を再興することです」

龐統も同意した。

「長安への道はすでに半ばまで開かれています。次は洛陽、そして許都です」

劉備は窓の外を見つめた。

「そのためには、国内の安定が不可欠だ。孔明、内政の強化に力を入れてくれ」

「承知しました」

諸葛亮は頷いた。

「農業の発展と官吏の登用制度を整え、国力を充実させます」

「士元」

劉備は龐統に向き直った。

「お前には北伐の準備を任せる。呉との同盟も強化せよ」

龐統は決然と答えた。

「必ずや期待に応えます。孫権とも再度交渉し、共同戦線を固めましょう」

三人の表情には、困難な道のりへの覚悟と、成功への確信が混じり合っていた。

蜀漢はいよいよ本格的な北伐への道を歩み始めようとしていた。

 

延康元年(221年)秋 – 建業

孫権は蜀からの使者が届けた書状を読み終え、思案顔で窓の外を見つめていた。

「劉備が皇帝に即位したか…」

孫権は呟いた。

陸遜が進み出た。

「主君、これは我らにとっても重大な転機です。曹丕に続き、劉備も皇帝となった今、我らはどう動くべきでしょうか」

孫権は微笑んだ。

「答えは明白だろう。我らも国号を定め、独立を宣言する時だ」

「呉王としてですか?」

陸遜が確認した。

「いや、まだその時ではない」

孫権は冷静に答えた。

「まずは呉国として独立し、魏と蜀に対抗する基盤を固める。皇帝の称号は、もう少し後でよい」

この時、別の使者が駆け込んできた。

「報告します!龐統からの親書が届きました」

孫権は眉を上げた。

「龐統からか?読め」

使者は封を切った羊皮紙を広げた。

『東呉の君主、孫権殿へ。 私は蜀漢の龐統です。我が主、劉備殿の即位に伴い、共同北伐の計画を加速させたいと考えています。来月、私自ら建業を訪問し、詳細を協議させていただきたく存じます。曹丕は北方の平定に忙しく、今こそ好機です。』

孫権は感心した表情を浮かべた。

「龐統、抜け目がないな」

「どうなさいますか?」

陸遜が尋ねた。

「歓迎しよう」

孫権は決然と答えた。

「龐統と会談し、この北伐の可能性を探る。今こそ、魏に一矢報いる時だ」

陸遜は頷いた。

「では、準備を整えます。しかし…」

「何だ?」

「呂蒙はこの計画に難色を示すでしょう。まだ荊州の件で…」

孫権は手を振った。

「呂蒙には私から説明する。北伐が成功すれば、荊州などより大きな利益が得られることを理解させよう」

建業の宮殿では、蜀漢との同盟再構築に向けた準備が始まった。

三国の情勢は、新たな局面を迎えようとしていた。

 

第九章 – 共同北伐

延康二年(222年)春 – 建業

龐統は建業に降り立ち、呉の歓迎の儀式に迎えられた。
孫権への敬意を示すため、武器を持たず、側近も最小限に抑えていた。

「龐先生、ようこそ建業へ」

陸遜が前に出て、龐統を迎えた。

「主君は謁見の間でお待ちです」

龐統は頷いた。

「久しぶりだな、伯言。元気そうで何より」

二人は宮殿へと向かいながら、互いの近況を語り合った。
建業の街は活気に満ち、東呉の繁栄を物語っていた。

孫権は謁見の間で龐統を迎えた。
隣には呂蒙も控えていた。
呂蒙の表情は複雑で、龐統の訪問に対する警戒心を隠しきれていないようだった。

「士元、よく来てくれた」

孫権は親しげに言った。

「蜀の様子はどうだ?」

「我が主は皇帝に即位し、国内は安定しています」

龐統は礼儀正しく答えた。

「そして何より、北伐の準備が整いつつあります」

「北伐か…」

孫権は興味を示した。

「具体的にはどのような計画だ?」

龐統は袖から地図を取り出し、テーブルに広げた。

「我らはすでに漢中から長安への道を半ばまで開きました。次は武都と上庸です」

呂蒙が口を開いた。

「それは蜀単独の作戦だろう。呉はどのように関わるというのだ?」

龐統は微笑んだ。

「それこそが今日の議題です。我らは同時に二方向から魏を攻めることを提案します。蜀は西から長安へ。呉は東から濡須口を攻め、合肥を脅かす」

孫権は地図を見つめ、考え込んだ。

「同時攻撃か…確かに魏の兵力を分散させる効果はあるだろう」

「それだけではありません」

龐統は続けた。

「戦利品の分配も明確にしたい。蜀は長安と関中を求めますが、徐州と兗州の全域、そして揚州の大部分は呉に帰属することを提案します」

呂蒙の表情が変わった。
その提案は、呂蒙の予想を超える寛大なものだった。

孫権は呂蒙と目配せした後、龐統に向き直った。

「興味深い提案だ。検討する価値はある」

「主君」

呂蒙が進言した。

「この計画には問題があります。魏の防御は強固です。特に合肥は…」

「その通りです」

龐統はすかさず言った。

「だからこそ、初めは大規模な戦闘は避け、小規模な勝利を積み重ねるのです。魏の守備を薄めさせ、油断させる…それが我々の戦略です」

呂蒙は黙って考え込んだ。
龐統の戦略の妙を理解していた。

夜が更けるまで議論は続いた。
最終的に、呉と蜀は共同北伐の基本合意に達した。

具体的な時期は延康二年の夏、魏が北方の匈奴対策に忙殺されている時を狙うことになった。

 

延康二年(222年)夏 – 上庸城外

「全軍、進撃!」

龐統の号令で、蜀軍は上庸城に向けて一斉に動き出した。
蜀の旗印は高く掲げられ、士気は最高潮に達していた。

同じ時刻、東方では孫権率いる呉軍が濡須口に向けて船団を進めていた。
共同北伐の幕が切って落とされたのだ。

上庸城では、魏の将軍・孟達が守備を固めていた。
孟達は蜀軍の接近を察知し、迎撃の準備を整えていた。

「報告!蜀軍、約二万と見られます。先頭には龐統の旗が見えます!」

孟達は冷静に命令を下した。

「弓兵を城壁に配置せよ。騎兵は待機。奴らの陣形を見極めてからだ」

龐統は阿壟城での勝利に続き、上庸も奪取しようとしていた。
上庸を制すれば、長安への道は大きく開ける。

「魏延」

龐統は側近の将軍に言った。

「お前は右翼から。馬超、お前は左翼を任せる。私は中央部隊を指揮する」

「しかし、士元」

魏延が心配そうに言った。

「あなたが前線に出るのは危険です。矢が…」

龐統は笑った。

「心配するな。雒県での教訓は忘れていない。私は後方から指揮を執る」

戦いは熾烈を極めた。
孟達の守りは固く、蜀軍は容易に城壁を突破できなかった。

「思ったより手強いな」

龐統は額に手を当て、戦況を見つめていた。

「ならば…」

龐統は諸将を呼び、新たな指示を出した。
蜀軍の一部が撤退を始め、魏軍は追撃のため城門を開けた。

「今だ!」

龐統の合図で、待機していた伏兵が一斉に動いた。
城門を出てきた魏軍は挟撃され、大混乱に陥った。

孟達は事態を見て取り、

「罠か!」

と叫んだ。
孟達は残った兵を率いて城に戻ろうとしたが、すでに遅かった。
魏延率いる部隊が城門を塞いでいたのだ。

「降伏しろ」

魏延は剣を構えた。

「さもなくば…」

孟達は周囲を見回し、苦々しい表情を浮かべた。

「降伏する。兵士の命を無駄にはしたくない」

上庸が陥落した知らせは、瞬く間に各地に広まった。

同時期、東では呉軍が濡須口での小競り合いに勝利し、合肥を威嚇していた。

 

延康二年(222年)秋 – 許都・魏宮

「上庸が落ち、濡須口も敗れたか…」

曹丕は報告書を読み、深いため息をついた。
曹丕の周りには、司馬懿をはじめとする側近たちが集まっていた。

「陛下」

司馬懿が進言した。

「蜀と呉が同時に動いたのは明らかな共謀です。龐統の戦略が見え隠れしています」

曹丕は苛立ちを隠せなかった。

「父上も警戒していた…龐統と諸葛亮か」

「しかし、我らにはまだ対抗策があります」

司馬懿は冷静に言った。

「北方の匈奴は鎮圧しつつあります。兵力を南に向ける余裕が生まれてきました」

曹丕は考え込んだ。

「では、どちらを優先すべきだ?蜀か、呉か?」

「呉です」

司馬懿は即答した。

「蜀は山岳地帯を通って攻めてくるため、時間がかかります。一方、呉は水路を利用して素早く動ける。まず呉を牽制し、その間に蜀への対策を練るべきです」

曹丕は頷いた。

「では、そのようにせよ。張遼を合肥に派遣し、呉軍を撃退させる。同時に、司馬懿、お前は上庸奪還の作戦を立てよ」

「承知しました」

司馬懿は礼をして退出した。
司馬懿の心の中には、龐統への対抗心が燃えていた。
二人は一度も会ったことがなかったが、司馬懿は龐統の才能を脅威に感じていた。

 

延康二年(222年)冬 – 成都

「上庸を制圧し、長安まであと一歩というところで…」

諸葛亮は報告書を読み上げ、劉備に進言した。

「陛下、北伐は順調に進んでいます。このまま長安を目指すべきでしょうか」

劉備は玉座から立ち上がり、広間を歩き回った。

「龐統の報告では、魏軍の反撃の兆しがあるという。慎重に進めるべきだろう」

「その通りです」

諸葛亮は同意した。

「また、呉からの知らせによれば、張遼が合肥に向かっているとのこと。孫権軍は一時撤退を検討しているようです」

劉備は眉をひそめた。

「共同作戦の効果が薄れるか…」

「しかし、我らはすでに上庸を手に入れました。これは大きな前進です」

諸葛亮は前向きに言った。

「次の北伐までに、さらに準備を整えましょう」

劉備は頷いた。

「士元には、上庸の防備を固めるよう伝えてくれ。そして春になったら帰還するよう」

「承知しました」

諸葛亮は答えた。

「また、国内の改革も進んでいます。租庸調制は民衆から支持を得ており、税収も安定しています」

劉備は満足げに微笑んだ。

「これも二人のおかげだ。漢中から上庸まで、着実に版図を広げている。あとは長安、そして洛陽だ…」

劉備の目には、漢王朝再興への希望の光が宿っていた。

蜀漢は、着実に北伐の足がかりを築きつつあった。

 

第十章 – 危機と転機

延康三年(223年)春 – 上庸

龐統は上庸の城壁から、北方を見つめていた。
魏軍の反撃に備え、城の防備を強化していた。

「士元」

魏延が近づいてきた。

「成都からの使者が到着しています。陛下からの詔です」

龐統は頷き、使者を迎えた。
使者は恭しく詔書を差し出した。

『朕は龐統に命ず。上庸の防備を固め、春を待って帰還せよ。次なる北伐に備えるのだ。』

龐統は文書を読み終え、静かに頷いた。

「陛下の命に従う。上庸の防備を最終確認し、帰還の準備を始めよう」

話し終えたとき、見張りの兵士が走ってきた。

「報告します!北方から大量の塵が上がっています。魏軍の接近が疑われます!」

龐統はすぐに城壁に駆け上がり、北方を見た。
確かに、地平線上には大量の塵が舞い上がっていた。

「警戒態勢を取れ!」

龐統は命令を下した。

「すべての門を閉じ、弓兵を配置せよ」

魏延が心配そうに言った。

「これは…司馬懿の率いる大軍かもしれません」

「その可能性が高い」

龐統は冷静に答えた。

「だが心配するな。この城は堅固だ。奴らが攻めあぐねている間に、我らは援軍を要請する」

しかし、状況は龐統の予想とは異なる方向に進んだ。
塵の中から現れたのは、司馬懿率いる軍ではなく、地元の農民を装った大量の魏兵だった。

「開門を!魏軍に追われています!」

農民たちは城門の前で叫んだ。

城門の兵士たちは迷った。
龐統は城壁から状況を見下ろし、すぐに異変に気付いた。

「開門するな!」

龐統は叫んだ。

「あれは罠だ!」

龐統の指示は間に合った。
城門は固く閉ざされたまま、偽装した魏兵たちは作戦の失敗を悟った。

その時、北方からさらに大量の魏軍が姿を現した。
先頭には、司馬懿の姿があった。

「やはり来たか…」

龐統は呟いた。

「魏延、準備はいいな?」

「はい、万全です」

魏延は力強く答えた。

「城内の食料は三ヶ月分、水も十分にあります」

龐統は満足げに頷いた。

「よし、籠城戦だ。司馬懿の動きを見極めよう」

上庸の包囲戦が始まった。
司馬懿は城を完全に包囲し、外部との連絡を絶った。
しかし、龐統の指示で事前に成都への伝書鳩が放たれており、援軍の要請はすでに届いていた。

 

延康三年(223年)春 – 成都

「上庸が包囲された?」

劉備は急報を受け、驚きの表情を浮かべた。
諸葛亮も側に控えており、冷静に状況を分析していた。

「陛下」

諸葛亮が言った。

「龐統の報せによれば、司馬懿率いる大軍が上庸を包囲しているとのこと。食料と水が十分にあり、当面は持ちこたえられると伝えています」

劉備は立ち上がった。

「援軍を送らねばならん。趙雲を呼べ」

すぐに趙雲が参上した。

「陛下、お呼びでしょうか」

「趙雲」劉備は命じた。

「お前に上庸救援の任を与える。一万の兵を率い、龐統を助けよ」

趙雲は躊躇した。

「陛下、一万では司馬懿の大軍に太刀打ちできないかもしれません」

諸葛亮が口を開いた。

「それが分かっているからこそ、趙将軍なのです。あなたの戦術と機動力を活かし、正面からではなく、側面から上庸に接近してください」

趙雲は理解を示し、頭を下げた。

「承知しました。必ずや龐統殿を救出します」

劉備は心配そうに窓の外を見た。

「士元…」

諸葛亮は劉備の心配を察し、

「ご安心ください」

と言った。

「龐統は聡明です。司馬懿相手でも、きっと持ちこたえるでしょう」

 

延康三年(223年)夏 – 上庸

包囲から二ヶ月が経過していた。
司馬懿は定期的に攻撃を仕掛けていたが、龐統の周到な防御により、大きな成果を上げられずにいた。

「先生」

司馬懿の部下が報告した。

「蜀からの援軍の噂があります。趙雲が率いているとのこと」

司馬懿は眉をひそめた。

「趙雲か…厄介だな。奴の機動力は侮れない」

「撤退しますか?」

「いや」

司馬懿は決然と言った。

「むしろこれが好機だ。龐統が城内にいる間に、趙雲を叩く。分断して個別に撃破するのだ」

司馬懿は兵力の三分の二を残して上庸の包囲を続け、残りの兵力で趙雲を迎え撃つ準備を始めた。

城内では、龐統が司馬懿の動きを注意深く観察していた。

「兵力が減った…」

龐統は城壁から見て取った。

「趙雲が来ているのだろう。ならば…」

龐統は魏延を呼んだ。

「趙雲の到着に合わせて、我らも行動を起こす。夜陰に紛れて北門から出撃し、司馬懿の本陣を襲うのだ」

魏延は驚いた表情を見せた。

「出撃ですか?籠城を解くのは危険では?」

「今こそ好機だ」

龐統は自信を持って言った。

「司馬懿は趙雲に気を取られている。我らの出撃は想定していないだろう」

計画は実行に移された。
月明かりのない夜、龐統率いる精鋭部隊が静かに北門から出撃した。

同じ頃、南方では趙雲が司馬懿の分遣隊と激しい戦いを繰り広げていた。

「進め!」

龐統は兵士たちを鼓舞した。

「目標は司馬懿の本陣だ!」

夜襲は成功した。
司馬懿の本陣は混乱に陥り、司馬懿は辛うじて脱出したものの、多くの物資と兵士を失った。

龐統は迅速に部隊を城内に戻し、趙雲に合流を指示した。
翌朝、趙雲の軍が北から到着し、残った魏軍は撤退を余儀なくされた。

上庸の危機は去った。
龐統と趙雲は、互いの健闘を称え合った。

「士元」

趙雲は敬意を込めて言った。

「あなたの戦略がなければ、この勝利はなかった」

龐統は謙虚に答えた。

「いや、趙雲殿の勇猛があってこその勝利だ。さあ、成都に戻ろう。陛下に勝利の報告をしなければ」

 

延康三年(223年)秋 – 成都

「士元、よく戻ってきた!」

劉備は武担殿で龐統の帰還を歓迎した。
隣には諸葛亮も立っており、友の無事な帰還に安堵の表情を浮かべていた。

「陛下」

龐統は恭しく頭を下げた。

「上庸は守り抜きました。そして司馬懿の軍に一矢報いることもできました」

劉備は満足げに頷いた。

「軍師殿の働きは素晴らしい。漢中から上庸まで、着実に我が蜀漢の版図を広げてくれた」

諸葛亮が進み出た。

「士元、無事で何よりだ。これで我らも元通りだな」

龐統は微笑んだ。

 

第十一章 – 運命の転換点

延康三年(223年)冬 – 成都

「陛下、お体の具合はいかがですか?」

諸葛亮が静かに問いかけた。
劉備は寝台に横たわり、その息は以前より浅くなっていた。
部屋には龐統も控えており、二人の軍師は主君の姿に心を痛めていた。

「心配するな」

劉備は微笑み、弱々しく手を振った。

「これも天命だろう…北伐の道筋を示してくれた二人に感謝したい」

龐統が進み出て跪いた。

「陛下、まだ多くのことがあります。どうかお力を…」

劉備はゆっくりと身を起こし、龐統と諸葛亮を見つめた。

「士元、孔明…そなたたちの力があれば、漢の復興は必ず成し遂げられる。私がいなくとも…」

「そのようなことを」

諸葛亮は言葉を遮った。

「陛下はまだ皆に必要としています」

「いや」

劉備は静かに首を振った。

「次代に託すとき…それが来たのだ」

側近を呼び、息子の劉禅を呼ぶよう命じた。

しばらくして劉禅が入室し、父の寝台に跪いた。

「阿斗…」

劉備は息子の手を取った。

「お前は二人の賢者に恵まれている。軍師殿の言葉に従い、漢の血統を継ぐ者としての責務を果たせ」

劉禅は涙を堪えながら頷いた。

「父上、必ずや…」

劉備は満足げに微笑み、龐統と諸葛亮に視線を移した。

「二人とも…頼んだぞ」

その夜、劉備は静かに息を引き取った。

蜀漢の初代皇帝の崩御は、国中に深い悲しみをもたらした。

 

延康四年(224年)春 – 成都

喪に服した期間を経て、劉禅が正式に皇位を継承した。
朝議の場で、若き皇帝の前に龐統と諸葛亮が並んで立っていた。

「軍師殿」

劉禅は緊張した面持ちで言った。

「父上の遺志を継ぎ、漢の復興を果たすためには、どのような道を進むべきでしょうか」

諸葛亮が一歩前に出た。

「陛下、まずは国内の安定が重要です。租庸調制の完全施行と、地方政治の整備を優先すべきかと」

龐統も同意した。

「また、亡き先帝が築かれた呉との同盟を強化する必要があります。次の北伐に向けて、より緊密な連携を図るべきです」

劉禅は頷いた。

「では、士元には呉との交渉を、孔明には国内政策の整備を任せよう」

二人は互いに目配せし、同時に頭を下げた。

「御意」

 

延康四年(224年)夏 – 建業

龐統は再び建業を訪れていた。
今回は蜀漢の新皇帝即位の公式通知と、同盟強化の交渉のためだった。

孫権は宮殿で龐統を迎えた。

「劉玄徳亡き後も、我らの同盟は続くということか」

「はい」

龐統は頷いた。

「新帝も先帝の意志を継ぎ、呉蜀同盟を重視しています。特に北伐においては」

「北伐…」

孫権は考え込んだ。

「前回は思うような成果を得られなかったが、今回はどうする気なのだ?」

龐統は微笑んだ。

「だからこそ、より緻密な計画が必要です。前回の教訓を活かし、新たな戦略を練りました」

龐統は新たな地図を広げた。

「我らは上庸を確保し、次は武都郡を目指します。同時に、呉には南陽から襄陽へと北上していただきたい」

「南陽経由か…」

孫権は興味を示した。

「確かに、前回より良さそうだ」

龐統は地図上の要所を指し示した。

「さらに、情報戦も重要です。魏の内部にも不満分子がおります。曹丕の統治に不満を持つ者たちとの連携も視野に入れています」

孫権は龐統の提案に感心した様子で頷いた。

「士元、お前の戦略眼には感服する。では、細部を詰めよう」

二人は夜遅くまで議論を続け、次の共同北伐の大枠を決定した。

 

延康四年(224年)秋 – 成都

諸葛亮は国内改革に没頭していた。
特に官僚制度の整備と農業生産の向上に力を入れていた。

「孔明」

龐統が建業からの帰還後、諸葛亮の政務室を訪れた。

「呉との交渉は順調だった。次回の北伐に同意してくれた」

諸葛亮は書類から顔を上げ、微笑んだ。

「それは良かった。こちらも順調だ。新しい税制は民衆からの支持も得て、穀物の備蓄も増えている」

龐統は席に着き、茶を啜った。

「次の北伐は、延康五年の春に」

「それまでに国内の整備を終えておく」

諸葛亮は頷いた。

「だが、司馬懿は厄介よ。上庸での出来事は、奴の策略によるもの」

「奴は私の好敵手になりそうだ」

龐統は目を細めた。

「しかし、我らには二人の智謀がある。一人では及ばぬ」

諸葛亮は微笑んだ。

「そうだな。」

二人の軍師は、次の戦略について語り合った。

ふたりの存在は、蜀漢の大きな強みとなっていた。

 

延康四年(224年)冬 – 許都

曹丕は朝議を終え、側近たちを退出させた後、司馬懿だけを残した。

「どうだ、司馬懿」

曹丕は尋ねた。

「蜀の動向はつかめているのか?」

司馬懿は冷静に答えた。

「はい。劉備の死後、劉禅が即位しましたが、実質的な権限は龐統と諸葛亮が握っているようです」

「二人の軍師か…」

曹丕は眉をひそめた。

「父上も警戒していた」

「最も懸念すべきは、蜀と呉の連携です」

司馬懿は続けた。

「龐統が再び建業を訪れたという情報があります。恐らく、次の北伐に向けた交渉でしょう」

曹丕は立ち上がり、窓辺に歩み寄った。

「我らはどう対処すべきだ?」

「二方向からの攻撃に備える必要があります」

司馬懿は答えた。

「しかし、呉蜀の連携を阻むことも可能です。呉には、我らから領土の一部割譲を提案してはどうでしょう」

曹丕は驚いた様子で振り返った。

「領土を割譲?」

「はい」

司馬懿は頷いた。

「小さな代償で呉を引き離せるなら、蜀との戦いは容易になるでしょう」

曹丕は考え込んだ。

「検討に値する提案だ…では、その準備を進めよ」

「承知しました」

司馬懿は頭を下げた。
内心では、龐統との次なる対決に備えていた。

 

延康五年(225年)春 – 武都郡国境

北伐の時が再び訪れた。
龐統は蜀軍の前線指揮を執り、武都郡へと軍を進めていた。
同時に、東方では呉軍が南陽へと進撃を開始していた。

「報告!」

斥候が龐統の本陣に駆け込んできた。

「前方約十里に魏軍の陣が確認されました。司馬懿の旗印が見えます!」

龐統は地図を見つめ、

「待っていたぞ…」

と呟いた。

龐統は将軍たちを集め、作戦を説明した。

「我らは正面から司馬懿と対峙する。しかし、それは陽動に過ぎない。馬超、お前は精鋭騎兵を率いて北回りせよ。司馬懿の補給路を断つのだ」

馬超は頷いた。

「承知しました。いつ出発しますか?」

「今夜、月が隠れたとき」

龐統は答えた。

「司馬懿は私との対決に気を取られ、背後の脅威に気付くまい」

魏延が不安そうに言った。

「しかし、士元。司馬懿は前回の教訓を活かしているはずです。同じ罠には二度と落ちないでしょう」

「その通りだ」

龐統は笑みを浮かべた。

「だからこそ、今回は罠ではなく、真正面からなのだ」

翌日、蜀軍と魏軍は武都郡の平原で対峙した。
龐統と司馬懿は、互いの陣営から相手を観察していた。

「なるほど…」

司馬懿は呟いた。

「龐統自ら前線に立つとはな。策があるに違いない」

司馬懿は諸将に命じた。

「全軍、防御態勢を整えよ。蜀の動きを見極めるまでは動くな」

一方、龐統は馬超の行動に時間を稼ぐため、小競り合いを仕掛けていた。
両軍は一日中、小規模な衝突を繰り返した。

夕暮れ時、龐統の本陣に朗報が届いた。

「馬超将軍からの伝令です!無事に魏軍の後方に到達し、補給路を断ちました!」

龐統は満足げに頷いた。

「よし、では明日は総攻撃だ」

しかし、夜半に予想外の知らせが届いた。

「報告!東方からの急使です。呉軍が南陽での戦いを放棄し、撤退したとのこと!」

龐統は驚愕した。

「何?どういうことだ?」

急使は息を切らしながら説明した。

「曹丕から孫権に密使が送られ、領土割譲の提案があったとのことです。呉はそれを受け入れ、北伐から撤退したようです」

龐統は表情を引き締めた。

「予想外の展開だ…」

龐統はすぐに将軍たちを集め、対応を協議した。

「呉の撤退により、我らの東側が無防備になる」

龐統は冷静に分析した。

「このまま武都郡を攻めれば、司馬懿は東から援軍を呼び、我らを挟撃できる」

「撤退しますか?」

魏延が尋ねた。

龐統は沈黙の後、決断を下した。

「いや、作戦を変更する。馬超の奇襲を活かし、司馬懿の軍を迅速に叩く。勝利を得たら、すぐに上庸に撤退する」

翌朝、予想外の蜀軍総攻撃に司馬懿は驚いた。
さらに、後方から馬超の騎兵隊が襲いかかり、魏軍は混乱に陥った。

「これは…」

司馬懿は状況を見て判断した。

「一時撤退だ!兵を退け!」

戦いは蜀軍の勝利に終わったが、龐統は追撃せず、部隊を上庸へと撤退させた。
龐統は呉の裏切りを重く受け止めていた。

 

延康五年(225年)夏 – 成都

「呉が我々を裏切ったというのか?」

劉禅は驚きの表情で問いた。

朝議の場で、龐統は北伐の結果を報告していた。

「はい、陛下。曹丕の領土割譲提案に応じ、呉は北伐から撤退しました」

諸葛亮が続けた。

「これにより、我ら単独での北伐が困難になりました。幸い、士元の機転により、武都郡での戦いには勝利し、上庸への安全な撤退も果たしました」

劉禅は考え込んだ。

「では、北伐は中止すべきか?」

龐統と諸葛亮は互いに目を合わせ、諸葛亮が答えた。

「一時中断が賢明かと存じます。この機に、内政の充実と軍の再編成に力を入れるべきでしょう」

「そして」

龐統が付け加えた。

「呉との関係も再考する必要があります。呉の裏切りは問題ですが、三国鼎立の情勢では、いずれ再び手を組む必要も出てくるでしょう」

劉禅は頷いた。

「二人の意見を採用しよう。北伐は一時中断し、内政と軍の強化に努める。そして呉には…警告の使者を送るのだ」

こうして、蜀漢は新たな段階へと進むことになった。

龐統と諸葛亮は健在であり、国の安定に大きく貢献していた。

北伐の道は一時閉ざされたものの、漢の復興への希望は消えていなかった。

 

第十二章 – 内政と外交の調和

延康六年(226年)春 – 成都

南郊の広大な農地で、諸葛亮は新たな灌漑構造の完成を視察していた。
傍らには龐統も立ち、二人は満足げに水の流れる様子を見つめていた。

「これで西北地区の水不足は解消されるだろう」

諸葛亮は言った。

「作物の収穫量は少なくとも二割は増加するはずだ」

龐統は頷いた。

「租庸調制と合わせ、国庫への穀物納入も安定してきた。北伐の中断は、内政充実の好機となったな」

二人は視察を終え、成都へと戻る馬車の中で、国の現状を話し合った。

「呉との関係はどうだ?」

諸葛亮が尋ねた。

龐統は表情を曇らせた。

「まだ冷え込んだままだ。孫権は我々の警告に対し、領土保全が最優先だと返答してきた」

「曹丕の分断策にうまく乗せられたな」

諸葛亮は苦笑した。

「しかし」

龐統は続けた。

「これは好機でもある。呉に頼らない自立路線を確立できれば、より強い立場で交渉できる」

諸葛亮は同意の表情を見せた。

「その通りだ。内政の充実こそが、外交の強化につながる」

馬車が宮殿に到着すると、二人は直ちに劉禅に謁見した。

「陛下」

諸葛亮は報告した。

「西北灌漑計画は予定通り完了しました。これにより、食糧生産はさらに安定します」

劉禅は満足げに頷いた。
即位から二年を経て、徐々に君主としての自信を身につけつつあった。

「孔明、士元、お二人の尽力に感謝する」

「陛下」

龐統が進言した。

「次は、上庸から漢中にかけての道路整備を進めたいと思います。軍事的にも経済的にも重要な動脈となるでしょう」

劉禅は同意した。

「承認する。他に提案はあるか?」

諸葛亮が一歩前に出た。

「はい。魏の内部情勢に変化がありました。曹丕の健康状態が悪化しているという情報が入っています」

「それは…吉報だな」

劉禅は興味を示した。

「はい」

龐統が続けた。

「また、魏の北方では再び匈奴の動きが活発化しています。これらの状況を注視し、次の北伐に備えるべきでしょう」

劉禅は二人の軍師を見つめ、

「では、内政の充実と並行して、魏の動向を探る工作も強化せよ」

と命じた。

 

延康六年(226年)夏 – 許都

曹丕は重い病に伏せていた。
寝台の周りには、息子の曹叡や重臣の司馬懿らが集まっていた。

「父上…」

曹叡は心配そうに父の手を握った。

「心配するな…」

曹丕は弱々しく言った。

「魏の将来は…お前に託す…」

そして司馬懿に目を向けた。

「司馬懿…お前は曹叡を支えよ…そして…蜀の二人の軍師には…気をつけよ…」

司馬懿は厳かに頭を下げた。

「必ず、陛下の御遺志を継ぎます」

その日の夕刻、魏の初代皇帝・曹丕は崩御した。

 

延康六年(226年)秋 – 成都

「曹丕が死に、曹叡が即位したという確かな情報です」

諜報を担当する黄権が朝議で報告した。
龐統と諸葛亮は互いに目配せし、これが意味する戦略的変化を考えていた。

「曹叡はどのような人物だ?」

劉禅が尋ねた。

「聡明で慎重、父親譲りの文才もあるようです」

黄権が答えた。

「しかし、まだ若く経験が浅い。司馬懿が実質的に権力を握る可能性が高いでしょう」

「これは好機でもあり、警戒すべき事態でもある」

龐統が言った。

「司馬懿は我らの最大の敵だ。しかし、政権移行期には必ず混乱が生じる」

諸葛亮が同意した。

「北伐再開の好機かもしれません。しかし、呉の動向も見極める必要があります」

劉禅は考え込んだ後、

「士元」

と言った。

「もう一度、建業を訪れてはどうだろう。孫権に再び手を結ぶよう説得できないか」

龐統は頷いた。

「試みる価値はあります。呉も魏の政権交代を注視しているはずです」

「では、そう決めよう」

劉禅は宣言した。

「士元は呉への使者となり、孔明は北伐準備の最終段階を進めよ」

 

延康六年(226年)冬 – 建業

龐統は三度目の建業訪問で、厳しい冬の寒さと同様に冷え切った外交関係を感じていた。
孫権は以前のような歓迎ではなく、形式的な謁見を許しただけだった。

「何の用だ、士元」

孫権は素っ気なく尋ねた。

「陛下」

龐統は丁寧に答えた。

「魏で政権交代がありました。これは三国すべてにとって重要な転機です」

「それがどうした」

孫権は冷たく言った。

「それは蜀の問題であって、呉の問題ではない」

龐統は静かに話を続けた。

「陛下、曹丕の死は呉にとっても好機のはずです。魏の内部は必ず動揺しています。ここで再び手を組めば…」

「もう十分だ」

孫権は言葉を遮った。

「前回の北伐で、蜀は呉を見捨てた。武都で勝利した後、なぜ進撃を続けなかった?」

龐統は困惑した。

「陛下、それは呉が先に…」

「言い訳は聞かん」

孫権は立ち上がった。

「呉は自らの道を行く。蜀とは互いに干渉しない関係が最良だろう」

龐統は最後の努力として言った。

「陛下、魏があなたに与えた領土は、いずれ取り上げられるでしょう。曹叡と司馬懿は、あなたを信頼してはいません」

孫権は一瞬、考え込んだように見えたが、すぐに表情を引き締めた。

「我が呉は自らを守る力がある。蜀の助けは必要ない」

交渉は失敗に終わった。

龐統は重い足取りで建業を後にした。

 

延康七年(227年)春 – 成都

龐統は建業から帰還し、その結果を報告した。
劉禅と諸葛亮は失望の表情を隠せなかった。

「やはり、孫権は頑なか…」

諸葛亮は溜息をついた。

「呉は曹丕の分断策に完全に嵌ってしまった」

龐統は説明した。

「さらに、呉の内部でも権力闘争が始まっているようだ。呂蒙の後継者たちと孫権の側近の間で」

劉禅は考え込んだ。

「では、単独での北伐も視野に入れなければならないのか」

「その可能性も検討すべきです」

諸葛亮は答えた。

「しかし、より慎重に進める必要があります」

龐統が補足した。

「魏の内部情報によれば、曹叡はまだ権力基盤を固めていない。司馬懿との関係も流動的だ。この隙を突けば、長安奪取も不可能ではない」

劉禅はしばらく思案した後、決断を下した。

「では、両輪の戦略を進めよう。一つは単独北伐の準備、もう一つは呉への継続的な働きかけだ」

諸葛亮と龐統は同時に頭を下げた。

「承知しました」

「また」

劉禅は続けた。

「内政の充実も怠ってはならない。民の生活が安定してこそ、北伐も支持される」

二人の軍師は若き君主の成長に、内心で満足の念を抱いた。

 

延康七年(227年)夏 – 上庸

龐統は北伐準備の最終確認のため、前線基地となる上庸を訪れていた。
城壁から北方を見つめ、長安への道を思い描いていた。

「士元殿」

魏延が近づいてきた。

「すべての準備は整いました。兵の士気も高いです」

龐統は頷いた。

「よし。秋になれば、いよいよ第三次北伐の開始だ」

「今回は呉の協力なしですが…」

魏延は不安を示した。

「だからこそ、より周到な準備が必要なのだ」

龐統は答えた。

「我らは武都郡を確保した。それを足がかりに、徐々に長安へと迫る」

「司馬懿は必ず立ちはだかるでしょう」

魏延が言った。

龐統は微笑んだ。

「ああ、魏との戦いは避けられない。しかし今回は、諸葛亮も前線に立つ。二人がかりで司馬懿を抑え込む」

魏延は驚いた。

「丞相も前線に?」

「そうだ」

龐統は頷いた。

「劉禅様も成長し、内政は馬謖と楊儀に任せることにした。今回は我ら二人の総力を挙げて、長安を目指す」

夕暮れ時、龐統は成都からの使者を迎えた。
それは諸葛亮からの書簡だった。

『士元 準備は整った。延康七年秋、我らは再び北を目指す。 今回は共に前線に立とう。二頭の智謀を合わせれば、長安攻略も夢ではない。 魏の内部情報によれば、司馬懿は依然として曹叡との関係構築に苦心しているという。 これが我らの機会だ。 陛下も我らの計画を全面的に承認された。 上庸で会おう。 孔明』

龐統は書簡を読み終え、満足げに頷いた。

北伐への道は、再び開かれようとしていた。

 

第十三章 – 二輪の矢

延康七年(227年)秋 – 上庸

秋風が吹き渡る上庸の城壁に、諸葛亮と龐統が並んで立っていた。
二人の軍師の眼前には、整然と配置された蜀軍の陣営が広がっていた。

「孔明、これほどまでに準備が整っているとは」

龐統は感嘆の声を上げた。

「内政と並行しながらよくぞここまで」

諸葛亮は羽扇を軽く揺らし、微笑んだ。

「士元、これも君がいてこそだ。二人で内政と軍政を分担できたからこその成果だ」

ふたりの後ろで、魏延が恭しく頭を下げた。

「おふたりの軍師がともに前線に立つとは、蜀の兵たちの士気は天を突くばかりです」

龐統は北方を指さした。

「我らの目標は明確だ。まず武都郡からの進路を固め、陽平関を突破する。そして長安へ」

「司馬懿は間違いなく出てくるであろう」

諸葛亮は冷静に分析した。

「司馬懿は曹叡との関係構築より、まず我らを迎え撃つことを選ぶだろう」

「それこそが我らの狙いだ」

龐統の目が鋭く光った。

「司馬懿が前線に出れば、魏の朝廷は一時的に混乱する。その隙に長安への道を開く」

諸葛亮は頷いた。

「準備は整った。延康七年第三次北伐、いよいよ開始だ」

 

延康七年(227年)冬 – 陽平関前

厳しい冬の寒さが漂う中、蜀軍は陽平関の手前で陣を敷いていた。
予想通り、司馬懿率いる魏軍が関所を守備していた。

「思った通りだな」

龐統は笑みを浮かべながら諸葛亮に言った。

「司馬懿は我らの挑発に乗ってきた」

諸葛亮は真剣な表情で地図を見つめていた。

「しかし、奴は単純に関所を守っているだけではない。周囲に伏兵を配置しているはずだ」

龐統は頷いた。

「そこで我らの策だ。魏延に先鋒を任せ、関所への正面攻撃を見せかける。その間に」

「我らは分断された道を使って迂回する」

諸葛亮が言葉を継いだ。

「張飛と黄忠に西から、馬超に東からの奇襲を命じる」

その夜、作戦会議が開かれた。

「諸将、明日の作戦を説明する」

龐統が口を開いた。

「魏延将軍、あなたは正面から陽平関に向かい、攻撃の構えを見せよ。しかし実際に攻め込むのではない」

魏延は困惑した表情を見せたが、すぐに理解して頷いた。

「敵の注意を引きつける役ですね」

「そうだ」

諸葛亮が続けた。

「張飛、黄忠は西の山道から、馬超は東の谷間から迂回し、司馬懿の伏兵を奇襲せよ」

「しかし、それでは司馬懿本陣への攻撃はどうするのです?」

黄忠が問うた。

龐統が微笑んだ。

「それこそが我らの真の狙いだ。司馬懿は伏兵への攻撃に気を取られ、本陣の守りが手薄になる。その時、我らが選抜隊を率いて中央突破を図る」

全将が感嘆の声を上げた。

これは龐統と諸葛亮がかつてないほど緻密に練り上げた作戦だった。

翌日、作戦は開始された。
魏延が派手に陽平関に向かい、予想通り司馬懿は動かなかった。
しかし、魏延の伏兵部隊が動き始めた時、張飛と馬超の奇襲が始まった。

「いま!」

龐統と諸葛亮は同時に叫び、自ら率いる精鋭部隊で中央突破を開始した。

混乱の中、司馬懿は龐統と諸葛亮の真の意図に気づいた。

「軍師二人が前線に?これは罠だ!本陣を守れ!」

しかし時すでに遅く、蜀軍の二頭の矢は魏軍の心臓部に迫っていた。

「撤退!」

司馬懿は苦渋の決断を下した。

「陽平関を放棄し、長安防衛線に退け!」

日没までに、蜀軍は陽平関を制圧していた。

「第一段階成功だ」

龐統は勝利の喜びに浸る将兵たちを見渡しながら言った。

「しかし、これはまだ始まりに過ぎない」

諸葛亮は北を見つめていた。

「司馬懿は単純に退いただけではない。奴は長安での決戦を望んでいる」

「そうだろうな」

龐統は同意した。

「しかし、我らにとってもそれは悪くない。長安を取れば、魏への打撃は計り知れない」

二人の軍師は互いに向き合い、固く手を取り合った。北伐は次の段階へと進む準備が整ったのだ。

 

延康七年(227年)冬 – 建業

孫権は冷たい目で龐統からの書簡を読み終えた。
それは蜀軍の陽平関制圧を伝え、改めて共同戦線を呼びかける内容だった。

「どう思う?」

孫権は呂蒙に尋ねた。

呂蒙は慎重に言葉を選んだ。

「陛下、蜀の快進撃は注目に値します。もし蜀が長安を取れば、魏の弱体化は避けられません」

「しかし、それは蜀の強大化も意味する」

孫権は指摘した。

「その通りです」

呂蒙は頷いた。

「しかし、現時点では魏の方が我らにとって脅威です。特に曹叡が権力基盤を固めれば」

孫権は長い沈黙の後、

「書簡への返信を準備せよ」

と命じた。

「直ちに動くとは約束せぬが、状況を見守る意向を伝えよ」

呂蒙は驚いた表情を隠せなかった。

「陛下、これは蜀との関係改善ですか?」

「そうとは言えん」

孫権は窓の外を見つめながら答えた。

「ただ、選択肢を広げておくのは賢明だろう」

 

延康八年(228年)春 – 長安近郊

春の訪れを告げる梅の花が咲く中、蜀軍は長安の外城にまで迫っていた。
司馬懿は城内で最後の防衛線を整えていた。

「想像以上の速さだ」

諸葛亮は率直に感想を述べた。

「司馬懿の撤退は単なる敗走ではなく、長安防衛に集中するためだったのだろう」

龐統は地図を広げ、周囲を指差した。

「長安は四方を固められている。正面突破は難しい」

「しかし、兵糧は十分ではない」

諸葛亮が指摘した。

「司馬懿は長期戦には持たないはずだ」

龐統が頷いた。

「そこで、包囲戦だ。長安の周囲を完全に封鎖し、補給路を断つ」

作戦は実行に移された。
蜀軍は長安を取り囲み、あらゆる道から都への出入りを封鎖した。
しかし、司馬懿の反応は鈍かった。

「何か変だ」

龐統は眉をしかめた。

「司馬懿ならもっと積極的に出てくるはずだが…」

諸葛亮も不安を感じていた。

「もしかすると…」

その時、北方から緊急の報告が届いた。

「丞相、士元先生!魏の大軍が北から接近しています!曹真が率いる援軍です!」

二人の軍師は互いに顔を見合わせた。

「やはり」

諸葛亮が呟いた。

「司馬懿は時間稼ぎをしていたのだ」

龐統は素早く決断した。

「選択肢は二つ。長安攻略を続けるか、曹真と戦うか」

諸葛亮は慎重に考えた。

「両方は無理だ。兵力を分散させれば、両方とも失う」

激しい議論の末、二人は苦渋の決断を下した。

「長安攻略は一時中断する。まず曹真の軍を撃退し、それから城攻めを再開しよう」

蜀軍は長安包囲を緩め、北に向かって陣形を変えた。司馬懿はこの動きを見逃さなかった。

「好機だ!」

司馬懿は命じた。

「後方から蜀軍を襲え!」

長安から出撃した魏軍と北から迫る曹真の挟撃に、蜀軍は窮地に立たされた。

「我々の誤算だ」

龐統は冷静に状況を分析した。

「曹真の到着が予想より早すぎた」

諸葛亮は素早く対応策を講じた。

「ここは撤退するしかない。武都郡まで下がり、態勢を立て直そう」

「しかし、これまでの成果は?」

魏延が抗議した。

「焦るな」

龐統が諭した。

「陽平関は確保したままだ。これは一時的な後退に過ぎない」

蜀軍は秩序ある撤退を開始した。

司馬懿と曹真は追撃を試みたが、諸葛亮と龐統の巧みな陣形変化に阻まれ、大きな損害を与えることはできなかった。

 

延康八年(228年)夏 – 成都

劉禅は最前線から戻った二人の軍師の報告を聞いていた。

「陛下、長安攻略は一時中断せざるを得ませんでした」

諸葛亮は率直に語った。

「しかし、陽平関は我が手に残っています」

龐統が続けた。

「これは敗北ではなく、戦略的撤退です。魏は二人の将軍を動員せねばならなかった。魏の内部は間違いなく動揺しています」

劉禅は失望の色を見せず、冷静に尋ねた。

「次の一手は?」

「まず内政を固めます」

諸葛亮が答えた。

「陽平関の確保には兵員が必要です。国内の生産を増やし、兵站を整える必要があります」

「同時に、呉との関係改善も進めましょう」

龐統が加えた。

「孫権から前向きな返答がありました。状況を見守るという内容ですが、これは大きな変化です」

劉禅は考え込んだ後、決断を下した。

「よし、今年は内政充実と陽平関の防衛に集中せよ。来年、再び北へ向かう準備をするのだ」

諸葛亮と龐統は頭を下げた。

「承知しました」

会議の後、二人は宮殿の回廊を歩きながら話し合った。

「初めての挫折だな」

龐統は静かに言った。

「挫折ではない」

諸葛亮は力強く応えた。

「我らは貴重な教訓を得た。司馬懿の戦略、曹真の動き方、そして魏の内部連携」

龐統は頷いた。

「確かに。次は必ず長安を手に入れる。今回の経験を活かして」

「士元」

諸葛亮が立ち止まり、龐統の肩に手を置いた。

「もし君があの雒県で倒れていたら、ここまで蜀は強くなっていなかった」

龐統は微笑んだ。

「運命とは不思議なものだな。一本の矢が歴史を変えるかもしれないと思うと」

二人は夕暮れの空を見上げた。

北伐の道はまだ遠かったが、二人の軍師がいる限り、蜀の未来は明るいように思えた。

 

延康八年(228年)秋 – 許都

曹叡は司馬懿の報告を聞き終えた。

「よくやった、司馬懿。蜀軍を撃退できたのは君の功績だ」

司馬懿は頭を下げた。

「陛下のご英断で曹真将軍を送っていただいたからこそです」

「しかし」

曹叡は眉をひそめた。

「陽平関は依然として蜀の手にある。これはかつてない事態だ」

「蜀の二人の軍師が同時に前線に立ったことが大きい」

司馬懿は分析した。

「龐統と諸葛亮…二人揃っては厄介だ」

曹叡は深く考え込んだ。

「二人を同時に相手にするのは難しいか?」

司馬懿は率直に答えた。

「正直申し上げれば。奴らは互いの弱点を補い合っている。諸葛亮の慎重さと龐統の大胆さが絶妙に調和しています」

曹叡は決断を下した。

「では、我が魏も二人の智将で対抗しよう。司馬懿、君と曹真で蜀の二人に対抗せよ」

司馬懿は頭を下げたが、心の中では不安が渦巻いていた。

曹真との連携は曹叡が思うほど簡単ではなかった。

 

延康九年(229年)春 – 建業

孫権は龐統からの新たな書簡を読んでいた。
それは次の北伐計画と、呉の協力を求める内容だった。

「どう思う?」

孫権は張昭に尋ねた。

「陛下」

張昭は答えた。

「蜀は確かに強さを見せています。しかし、長安攻略には至らなかった。蜀の限界も見えています」

「しかし、蜀は陽平関を保持している」

孫権は指摘した。

「これは無視できない」

陸遜が進言した。

「今こそ呉も動くべき時かもしれません。蜀と連携し、魏の南部を牽制すれば、蜀の北伐も成功する可能性が高まります」

孫権は長い沈黙の後、決断を下した。

「書簡を送れ。蜀の次回北伐に合わせて、呉も長江を越えて魏領に侵攻する意向を伝えよ」

宮殿中に驚きの声が広がった。

孫権は続けた。

「ただし、明確な条件を付ける。蜀が長安を取る前に呉が撤退することはない。また、蜀が再び単独行動をとれば、今後の協力はない」

張昭は懸念を示した。

「陛下、これは大きな賭けです」

「時には賭けも必要だ」

孫権は微笑んだ。

「曹叡の魏が強大化する前に、魏を分断する好機はこれが最後かもしれない」

 

延康九年(229年)夏 – 成都

龐統は孫権からの返書を手に、諸葛亮のもとへ急いだ。

「孔明!素晴らしい知らせだ!」

龐統は興奮した様子で書簡を掲げた。

「孫権が共同作戦に合意した!」

諸葛亮は驚きを隠せなかった。

「本当か?これは予想外だ」

二人は書簡を読み込み、孫権の条件を検討した。

「厳しい条件だが、受け入れられないものではない」

諸葛亮は判断した。

「呉は我らが長安を取るまで戦い続けると約束している」

龐統は頷いた。

「そして我らも単独行動はしない。これで魏は東西から挟撃される」

二人は直ちに劉禅に報告し、延康十年(230年)春に予定されていた第四次北伐の計画を修正し始めた。

「今度こそ長安を取る」

龐統は確信に満ちた声で言った。

「そして、漢王朝の再興へ一歩近づくのだ」

諸葛亮も決意を新たにした。

「ああ、士元。我らの夢はまだ途上だが、確実に前進している」

延康九年の夏、蜀漢の未来は再び輝きを増した。
龐統と諸葛亮という二人の軍師の存在が、三国の均衡を少しずつ変えつつあった。

長安への道のりはまだ遠かったが、二輪の矢は確実に標的に向かって飛んでいた。

 

第十四章 – 長安への道

延康十年(230年)春 – 成都

「時が来た」

諸葛亮は宮殿に集められた将軍たちを見渡した。
中央には劉禅が座り、その側には龐統が立っていた。

「陛下、第四次北伐の準備が整いました」

諸葛亮は一礼して報告を始めた。

「今回は呉との共同作戦。呉は既に南郡方面への出撃準備を整えています」

龐統が前に出て、大きく広げた地図を指さした。

「今回の作戦は三段階に分かれます。まず我らは陽平関から長安へと進軍。同時に呉軍は魏の南部を攻撃し、曹叡の注意を南へと引きつけます」

「次に」

諸葛亮が続けた。

「長安包囲の際の教訓を生かし、曹真軍が北方から来る前に速攻で城を落とす。そして長安制圧後、洛陽への道を開きます」

魏延が不安げに口を開いた。

「前回、司馬懿は巧みに時間を稼ぎました。今回も同じ策にはまらないと断言できますか?」

龐統は微笑んだ。

「よい質問だ。前回我らは包囲戦を選んだが、今回は違う」

「今回は火攻めだ」

諸葛亮が言い切った。

「長安の東南に乾いた薪を積み上げさせた密偵がいる。風向きを見計らって火を放てば、司馬懿は早急な決断を迫られる」

劉禅は静かに頷いた。

「犠牲を最小限に抑える方法はあるか?」

「もちろんです」

龐統が答えた。

「火は脅しとして使い、降伏を促します。我らの目的は、長安の民を我が漢の民として迎え入れることです」

劉禅は立ち上がり、諸葛亮と龐統を見つめた。

「二人の軍師よ、魏を討ち、漢を興す。その使命を果たすときが来た。朕は成都より汝らを見守る」

将軍たちは一斉に膝をついた。

「必ず勝利をお持ち帰りします!」

諸葛亮と龐統は互いに目を合わせた。

長い間共に戦ってきた二人の間には、言葉なしでも通じる絆があった。

 

延康十年(230年)春 – 建業

「出陣の時だ」

孫権は甲冑に身を包み、呉の将軍たちを前に立っていた。

「今回の遠征は蜀との共同作戦」

孫権は厳しい表情で語った。

「狙いは、魏の注意を南へ引きつけ、蜀軍の長安攻略を助ける」

呂蒙が前に出た。

「陛下、作戦の詳細をご説明します。我らは二手に分かれ、一方は濡須口を攻撃、もう一方は襄陽を攻める。これにより魏は兵を分散せざるを得なくなります」

陸遜も進言した。

「また、偽情報も流しています。我らがあたかも洛陽を目指すかのような噂を広めました。これにより曹叡は更に混乱するでしょう」

孫権は満足げに頷いた。

「よし。ただし覚えておけ。これは蜀のための戦いではない。呉の未来のための戦いだ。蜀が長安を取るまで我らは撤退しない。だが、蜀が失敗すれば、我らも直ちに撤退する」

「蜀の二人の軍師は本当に長安を落とせるのでしょうか?」

周泰が疑問を呈した。

孫権は窓の外、北方を見つめた。

「龐統と諸葛亮…あの二人がそろえば、不可能ではないだろう。しかし我らは自らの道を切り開く。蜀の成否に関わらず、我らの勝利を掴み取れ!」

将軍たちは雄叫びを上げ、出陣の準備へと散っていった。

 

延康十年(230年)春 – 陽平関

蜀軍の大部隊が陽平関に集結していた。
最前線に立つ諸葛亮と龐統は、最後の作戦確認を行っていた。

「呉の動きは?」

諸葛亮が問うた。

龐統は伝令から受け取った書簡を読み上げた。

「計画通り。呉は既に濡須口と襄陽への進軍を開始した。魏の南部守備隊は混乱している」

「我らの斥候は?」

「長安周辺を偵察済みです」

魏延が報告した。

「司馬懿は長安に籠もり、城壁を強化しています。しかし、兵の数は前回より少ない」

龐統は意味深な笑みを浮かべた。

「曹叡は兵を分散せざるを得なかったのだな。南の呉に対応するため」

諸葛亮は北を見つめた。

「いよいよだ。全軍、前進!」

蜀軍は陽平関を出発し、長安へと進軍を開始した。
先頭を行く馬超と魏延の部隊は、途中の小さな抵抗を素早く排除していった。

三日目の昼、先遣隊が戻ってきた。

「報告します!長安の外城防衛線が確認できました。司馬懿は城外にも防衛線を敷いています」

龐統は眉をひそめた。

「予想外だな。魏は城内に籠もると思っていたが」

諸葛亮はしばし考え込み、

「いや、これは好機だ」

と言った。

「司馬懿が城外に出てくれば、我らは開戦地を選べる」

「そうだな」

龐統は頷いた。

「では作戦を修正しよう。馬超は右翼から。黄忠は左翼を頼む。魏延は中央突破を」

将軍たちが散っていくと、龐統は諸葛亮に向き直った。

「我らは?」

「我らは」

諸葛亮は静かに答えた。

「後方から全体を指揮する。前回の教訓だ。ふたりで前線に立つのは避ける」

龐統は少し残念そうな表情を見せたが、すぐに納得して頷いた。

「その通りだ。勝利のためには」

 

延康十年(230年)春 – 長安城外

翌朝、長安城外の平原に、二つの軍が対峙していた。
蜀軍は三方に分かれ、魏軍は司馬懿の指揮の下、堅固な陣形で立ちはだかっていた。

「思った通り、司馬懿自ら指揮を執っている」

諸葛亮は後方の高台から望遠鏡で戦場を見渡していた。

「しかし曹真の姿がない」

龐統が指摘した。

「おそらく長安城内に控えているのだろう」

「よし」

諸葛亮は決断を下した。

「計画通り進める。まず司馬懿の軍を崩し、それから長安への道を開く」

合図の太鼓が鳴り、蜀軍が動き始めた。
左右から馬超と黄忠が迫り、中央では魏延が真っ直ぐに突撃していく。

司馬懿は冷静に対応した。
左右の翼を強化し、中央は少し引いて蜀軍を引き込もうとしていた。

「さすがだな」

龐統は感嘆した。

「奴は我らの三面攻撃を読んでいる」

諸葛亮は羽扇を揺らした。

「だが、司馬懿は重要なことを見落としている」

その時、長安の東南方向から黒煙が上がり始めた。

「始まったか」

龐統が呟いた。

長安城内から混乱の声が聞こえ始める。
司馬懿も一瞬、煙の方向に目を向けた。

「今だ!」

諸葛亮が合図を送ると、蜀軍の中央部隊が突如として速度を上げ、魏軍の中央に突っ込んでいった。

混乱する魏軍。
司馬懿は咄嗟に指示を出すが、蜀軍の勢いは止まらない。

「もう一つの作戦を実行せよ」

龐統が伝令に命じた。

すると、蜀軍の後方から別動隊が現れ、長安城の西門に向かって疾走していった。

「張飛と趙雲の隊だ」

諸葛亮が説明した。

「火計の混乱に乗じて西門を突破する」

戦いは熾烈を極めた。
司馬懿は必死に陣形を立て直そうとするが、戦場の主導権は完全に蜀軍に移っていた。

日が傾きかけた頃、張飛から伝令が到着した。

「報告します!西門突破に成功!城内に進入しました!」

龐統と諸葛亮は互いに顔を見合わせ、喜びを分かち合った。

 

延康十年(230年)春 – 長安城内

張飛と趙雲の部隊は長安城内で急速に進撃していた。
城内は火計で混乱状態。
民衆は逃げ惑い、魏の兵士たちは統制を失っていた。

「皆に伝えろ!」

趙雲は兵士たちに命じた。

「民には危害を加えるな!我らが来たのは解放のためだ!」

「そうだ!」

張飛も叫んだ。

「火は消し止めよ!魏の兵のみを討て!」

蜀兵たちは民家に入り込んだ魏兵を追い出し、水を運んで火を消し始めた。
この意外な行動に、長安の民衆は驚きを隠せなかった。

「蜀兵が火を消してくれている…」

「民を助けている…」

小声の噂が広がり始める。

その頃、城の中央部に位置する長安宮では、曹真が状況報告を受けていた。

「司馬懿様の軍は撤退中です。西門が突破され、蜀軍が城内に入り込んでいます」

曹真は顔色を変えた。

「呉軍の動きは?」

「襄陽が攻撃されています。濡須口も危険な状態です」

「罠だったか…」

曹真は拳を握りしめた。

「蜀と呉が手を組んだのは初めてだ」

曹真は短く考え込み、決断を下した。

「長安は守れん。洛陽に撤退する。陛下に状況を報告せねば」

 

延康十年(230年)春夜 – 長安城壁

日が沈み、星が輝き始めた頃、諸葛亮と龐統は長安城壁の上に立っていた。
城下では蜀軍の兵士たちが秩序正しく城内の治安回復に努めていた。
火はほぼ消し止められ、民衆も少しずつ落ち着きを取り戻していた。

「ついに、長安を手に入れたな」

龐統は感慨深げに言った。

「ああ」

諸葛亮は頷いた。

「曹真は洛陽へ逃げ、司馬懿も撤退した。だが、これはまだ始まりに過ぎない」

二人は東の方角、洛陽のある方向を見つめた。

「次は洛陽か」

龐統が呟いた。

「いや」

諸葛亮は首を振った。

「まだその時ではない。まずは長安を固め、北方の民の心を掴まねば」

龐統は賢明に頷いた。

「そうだな。長安は単なる軍事拠点ではない。かつての漢の都だ。ここを拠点とすることで、正統性を示せる」

「そして」

諸葛亮が付け加えた。

「陛下をここに迎え入れ、名実ともに漢の復活を内外に示す時が来たのだ」

二人は静かに夜空を見上げた。

十六年前、雒県で龐統が一本の矢を避けた瞬間から、歴史は大きく動き始めていた。

 

延康十年(230年)夏 – 建業

孫権は龐統からの書簡を読み終え、満足げに頷いた。

「長安陥落か。あの二人はやはりやってのけたか」

呂蒙が進言した。

「陛下、我らの軍も大きな功績を上げています。襄陽を制圧し、魏の南部防衛線を崩しました」

「そうだな」

孫権は認めた。

「約束通り、蜀が長安を取ったからには、我らも前進するのだ」

陸遜が地図を広げた。

「次の標的は?」

孫権は北方を指さした。

「寿春だ。あそこを取れば、魏の東部への進出路が開ける」

将軍たちは互いに顔を見合わせた。
呉と蜀の連携が生み出した新たな局面。

三国の均衡は大きく揺らぎ始めていた。

 

延康十年(230年)夏 – 許都

曹叡は玉座に座ったまま、沈黙していた。
宮殿には重苦しい空気が満ちていた。

「長安陥落…」

曹叡は最後に言葉を絞り出した。

「我が魏にとって、前代未聞の敗北だ」

司馬懿は頭を下げたまま、動かなかった。

「どうして防げなかったのだ?」

曹叡の声には怒りより悲しみが滲んでいた。

「臣の責任です」

司馬懿は静かに言った。

「蜀と呉の連携を見誤りました。火攻めも見抜けず…」

「いや」

曹叡は手を振った。

「責めているのではない。我ら全員の責任だ。朕が…」

曹叡は立ち上がり、窓の外を見つめた。

「蜀の二人の軍師、龐統と諸葛亮。奴らがいる限り、蜀は強大だ」

司馬懿は黙って頷いた。

「洛陽を強化せよ」

曹叡は命じた。

「そして、新たな戦略を練れ。二人を同時に相手にする方法を」

司馬懿は深く頭を下げた。

「承知しました」

曹叡が再び座ると、司馬懿は静かに退出した。

司馬懿の心の中には、既に次の戦いへの構想が浮かんでいた。

蜀の二人の軍師を分断する策…

 

延康十年(230年)秋 – 長安

長安の宮殿は久しぶりに活気に満ちていた。
劉禅の一行が到着し、新たに蜀漢の第二の都となった長安は祝賀騒ぎに包まれていた。

「陛下、蜀漢の旗が長安城に翻るさまは、まさに漢の復活を象徴しています」

諸葛亮は劉禅に進言した。

「そうだな、孔明」

劉禅は窓から見える街並みを眺めながら答えた。

「父上の夢が、一歩ずつ実現していく」

龐統が入室し、一礼した。

「陛下、北方各地からの使者が続々と到着しています。漢中、武都、隴西…皆、蜀漢への忠誠を誓っています」

「素晴らしい」

劉禅は満足げに頷いた。

「士元、我が漢の領土は着実に広がっているようだな」

「左様に」

龐統は地図を広げた。

「現在、我らの影響下にある地域はここまで。長安を中心に、北方への道が開けました」

地図上には、蜀の本拠地である益州から、荊州を経て、新たに獲得した長安周辺まで、広大な領域が描かれていた。

劉禅は諸葛亮と龐統を見つめた。

「二人の功績は計り知れない。どうすれば褒賞できようか」

諸葛亮が答えた。

「臣に褒賞は必要ありません。劉備先主の遺志を継ぎ、漢を再興することこそが、臣の望みです」

龐統も頷いた。

「私も同じです。ただ、一つ提案があります」

「何だ?言ってみよ」

「長安と成都の二都体制を確立し、交互に朝政を行うのはいかがでしょう。そうすれば北方と南方、両方の民の心を掴めます」

劉禅は考え込み、やがて頷いた。

「良い案だ。春秋に遷都する形で進めよう」

諸葛亮と龐統は互いに目を合わせ、満足げに頷き合った。

ふたりの計画は順調に進んでいた。

 

延康十年(230年)冬 – 長安郊外

雪が静かに降り積もる中、諸葛亮と龐統は長安城外の雍廟を訪れていた。
かつて漢の高祖・劉邦が祀られた由緒ある廟だ。

「ここから漢の復興が始まった」

諸葛亮は静かに言った。

「高祖も喜んでおられるであろう」

龐統は頷いた。

「我らは歴史の一部となった。百年後、人々は龐統と諸葛亮という二人の軍師がいたからこそ、漢は再び立ち上がったと語るだろう」

「まだ道半ばだ」

諸葛亮は北を見つめた。

「洛陽はまだ魏の手にある。真の漢の復興は、中原の回復なくしてありえない」

「ああ、そうだな」

龐統は同意した。

「だが、もう怖れることはない。我らには時間がある。そして、二人いれば…」

「何があっても乗り越えられる」

諸葛亮が言葉を継いだ。

二人は雪の中、並んで立ち続けた。

長安奪取という大きな一歩を踏み出したふたりの前には、まだ長い道のりが待っていた。
しかし、龐統と諸葛亮がともにある限り、蜀漢の未来は明るく輝いていた。

雪が二人の足跡を静かに覆っていくなか、ふたりの心には次なる戦いへの決意が固く刻まれていた。

 

第十五章 – 洛陽への布石

延康十一年(231年)春 – 長安

「陛下、東方からの使者が到着しました」

侍従の言葉に劉禅は顔を上げた。
長安の宮殿で政務に当たる日々も半年が過ぎ、春の訪れとともに様々な動きが活発になっていた。

「呉からか?」

「はい。孫権様からの親書だということです」

劉禅は諸葛亮と龐統を見た。
二人は静かに頷き、使者の入室を許可した。

呉の使者は丁寧に礼をした後、巻物を差し出した。

「我が主、孫権よりの親書でございます」

諸葛亮が巻物を受け取り、開いて目を通した。
表情に微かな緊張が走る。

「何と書かれている?」

劉禅が尋ねた。

「孫権が正式に帝位に即くとのことです」

諸葛亮は静かに告げた。

「そして、蜀漢との同盟関係の継続を望んでいます」

龐統は考え込むように眉を寄せた。

「予想より早いな。我らが長安を取ったことで、呉も決意を固めたか」

「これは…我が蜀漢にとって良いことなのか?」

劉禅は心配そうに尋ねた。

諸葛亮はゆっくりと羽扇を動かしながら答えた。

「陛下、これは避けられない流れでした。重要なのは、孫権が我らとの同盟を望んでいること。魏を挟み撃ちにする戦略は依然として有効です」

龐統も頷いた。

「左様。呉が独立した国として体制を整えれば、より強固な同盟関係を築けます。ただし…」

「ただし?」

「ただし、呉の真の意図も見極める必要があります」

龐統は慎重に言葉を選んだ。

「寿春の戦いでは、約束より早く撤退しました。呉は常に自国の利益を第一に考えています」

劉禅は深く考え込んだ後、使者に向き直った。

「孫権殿に伝えよ。我が蜀漢は呉の建国を祝福する。そして引き続き魏討伐のために協力していく所存だと」

使者が退出すると、劉禅は二人の軍師に向き直った。

「では、我らの次の一手は?」

諸葛亮と龐統は互いに目を合わせ、頷き合った。

「次は」

諸葛亮が口を開いた。

「洛陽への布石を打つべき時です」

 

延康十一年(231年)春 – 洛陽

「長安陥落から半年…蜀の動きはどうだ?」

曹叡は宮殿の一室で司馬懿と対面していた。
窓から見える洛陽の街並みは平穏そのものだったが、失った長安の痛手は大きかった。

司馬懿は一歩前に出て答えた。

「劉禅は長安に留まり、政務を執っています。諸葛亮と龐統は城壁の強化と周辺地域の安定化に注力しているようです」

「侵攻の気配は?」

「今のところありません。蜀は急いでいない。長安を足場に、徐々に影響力を広げています」

曹叡は深くため息をついた。

「そして今度は孫権が皇帝を名乗るという…」

「はい。正式に帝位に即くとの情報です」

「三国鼎立…」

曹叡は言葉を噛みしめるように言った。

「名実ともに三つの国に分かれたわけだ」

司馬懿は冷静に分析を続けた。

「蜀と呉が連携を続ければ、我が魏は二正面作戦を強いられます。しかし、呉蜀の連携にも隙はあります」

「どういうことだ?」

「孫権は野心家です。奴が皇帝を名乗ることで、蜀との間に微妙な亀裂が生じる可能性があります。劉禅は自らを漢の正統と考えている。その立場上、孫権の称帝を本心から祝福することはできないでしょう」

曹叡は頷いた。

「その亀裂を広げる手はないか?」

「あります」

司馬懿の目が鋭く光った。

「荊州問題です。あの地は依然として蜀と呉の間で係争地となっています。我らが適切に介入すれば…」

「二国間の対立を煽ることができる」

曹叡は言葉を継いだ。

「よし、その方向で策を練れ」

司馬懿は静かに頷いた。

「もう一つ、気になる情報があります」

「何だ?」

「諸葛亮と龐統の間にも、わずかな意見の相違があるとの報告が」

曹叡の目が鋭く光った。

「それは誠か?」

「まだ確証はありません」

司馬懿は慎重に言った。

「しかし、北伐の進め方について、諸葛亮はより慎重派、龐統はより積極派という傾向があるようです」

「その違いも利用できるな…」

「はい。二人が揃っているからこそ強い。もし分断できれば…」

曹叡はゆっくりと立ち上がった。

「司馬懿、この難局を乗り切るのは君しかいない。全権を委ねる」

司馬懿は深く頭を下げた。

「必ずや活路を見出します」

 

延康十一年(231年)夏 – 長安

夏の暑さが長安の街を包む中、蜀の将軍たちが集結していた。

「北方の民が我らを受け入れつつある」

趙雲が報告した。

「陝西一帯の小さな城は次々と降伏し、漢中から武都までの連絡路も安定しています」

馬超も頷いた。

「私の故郷、隴西でも蜀漢への忠誠を誓う者が増えています。かつての同郷も多くが味方につきました」

諸葛亮は満足げに頷いた。

「皆の働きのおかげだ。長安奪取から半年、我らの統治は着実に根付いている」

龐統が地図を広げた。

「次は河東だ。ここを制すれば、洛陽へのさらなる足掛かりになる」

「だが」

諸葛亮が指摘した。

「河東は曹仁が守備している。容易ではない」

「正面から攻めるつもりはない」

龐統は微笑んだ。

「まずは民心を味方につける。我らの政策の良さを示し、内部から崩していく」

「民を味方につける…」

魏延が考え込んだ。

「具体的には?」

諸葛亮が答えた。

「税の軽減だ。魏は戦費調達のため、民への課税を強めている。我らはその逆を行く」

「そして」

龐統が続けた。

「食糧備蓄を強化する。来年は凶作の可能性がある。我らが民を養えれば、自然と心は我らに向く」

「本当に来年は凶作なのですか?」

趙雲が驚いた様子で尋ねた。

諸葛亮が頷いた。

「星の運行からそう予測している。そして龐統も別の方法で同じ結論に達した」

「気流の変化と過去の記録からだ」

龐統は補足した。

「いずれにせよ、備えあれば憂いなし」

馬超が不安げに言った。

「しかし、我らも長安での戦いで多くの資源を使った。蓄えは十分か?」

「心配するな」

諸葛亮は静かに言った。

「成都では既に増産体制に入っている。劉禅陛下も全面的に支援してくださっている」

龐統はふと立ち上がり、窓の外を見た。

「皆、外を見てみろ」

将軍たちが窓に近づくと、長安の街では市場が活気づき、人々が行き交っていた。

「これが我らの本当の勝利だ」

龐統は静かに言った。

「戦って領土を得るのは容易い。だが民の心を掴むのは難しい。今、長安の民は我らを受け入れつつある」

諸葛亮も頷いた。

「そうだ。だからこそ次の一手は慎重に。北伐を急ぐよりも、この基盤を固めることが先決だ」

将軍たちは静かに同意した。

ふたりの目には、さらなる蜀漢の繁栄への決意が宿っていた。

 

延康十一年(231年)夏 – 建業

「蜀が動かないのはなぜだ?」

孫権は宮殿で苛立ちを露わにしていた。
即位から数ヶ月、呉帝国の首都・建業は新たな活気に包まれていたが、孫権の表情は晴れなかった。

陸遜が答えた。

「蜀は長安の基盤固めに注力しているようです。前線の将を入れ替え、民政に詳しい官僚を送り込んでいます」

「次の北伐は?」

「来年春以降と見られます」

張昭が報告した。

「蜀は食糧の備蓄を始めており、大規模な作戦の準備と思われます」

孫権は不満げに唸った。

「遅すぎる。我らは既に寿春を狙っているというのに」

「陛下」

陸遜が慎重に言葉を選んだ。

「蜀と我が呉では状況が異なります。蜀は新たに得た領土の安定を優先すべきです。我らは東南の地盤が固まっているからこそ、北進できる」

孫権は少し落ち着いた様子で頷いた。

「そうだな…しかし、このままでは同盟の意味がない」

「龐統からの書簡があります」

陸遜が巻物を差し出した。

「蜀の協力案です」

孫権は書簡に目を通し、徐々に表情が和らいだ。

「なるほど…資源の共有か」

「はい」

陸遜が説明した。

「蜀は鉄と木材が豊富です。蜀はそれを我らに提供し、代わりに我らの造船技術を求めています」

「互いの強みを活かすということか」

孫権は考え込んだ。

「悪くない提案だ」

「もう一つ」

張昭が付け加えた。

「蜀は来年の凶作を警告しています。我らも備蓄を増やすべきとの助言です」

「凶作?」

孫権は眉をひそめた。

「根拠は?」

「諸葛亮の天文観測と龐統の気象記録だそうです」

孫権は少し笑みを浮かべた。

「あの二人が揃って言うのなら…」

孫権は立ち上がり、窓から建業の港を見渡した。
多くの船が行き交い、呉の繁栄を象徴していた。

「よし、決めた」

孫権は振り返った。

「蜀との物資交換に同意する。そして…」

「そして?」

「荊州問題の再交渉を始めよう」

将軍たちは驚いた様子で互いに顔を見合わせた。

孫権は静かに続けた。

「蜀が長安を得た今、荊州への執着は薄れているはずだ。今こそ呉の権利を主張する時かもしれぬ」

陸遜は慎重に進言した。

「それは同盟関係を危うくする可能性も…」

「分かっている」

孫権は厳しい表情で言った。

「だが、真の同盟とは互いの利益を尊重することだ。荊州は我が呉の生命線。いつまでも曖昧にはできない」

宮殿内に重い空気が流れた。

呉と蜀の同盟は、新たな試練の時を迎えようとしていた。

 

延康十一年(231年)秋 – 長安郊外

秋風が黄金色の稲穂を揺らす中、諸葛亮と龐統は長安郊外の田園地帯を視察していた。

「豊作だな」

龐統は満足げに言った。

「これだけあれば冬を越せる」

諸葛亮も頷いた。

「農民たちの表情も明るい。民衆にとって、統治者が誰であれ、平和に暮らせることが何より重要なのだ」

二人は馬から降り、近くの丘に腰を下ろした。
眼下には広大な農地が広がり、農民たちが収穫に励む姿が見えた。

「孫権からの返事は?」

諸葛亮が尋ねた。

「物資交換には同意した」

龐統は答えた。

「だが…」

「荊州問題を蒸し返してきたな」

「ああ。予想通りだ」

二人は静かに風景を眺めた。
やがて龐統が口を開いた。

「荊州についてどう思う?」

諸葛亮はしばらく考えてから答えた。

「難しい問題だ。確かに歴史的経緯を見れば、荊州南部は呉に近い。だが、関羽殿が血を流して守った地でもある」

「我らは今、長安という大きな果実を得た」

龐統が言った。

「荊州南部と長安…どちらが我らにとって価値があるか、考えるべき時かもしれない」

「民の立場に立てば、不必要な争いは避けるべきだ」

諸葛亮は静かに言った。

「だが、簡単に譲れば、孫権の要求はさらに強まる」

龐統は草を一本摘み、指で弄びながら言った。

「妥協案を考えよう。完全な譲渡ではなく、共同管理という形はどうだ?」

「興味深い提案だな」

諸葛亮は頷いた。

「荊州の利益を分配し、防衛も共同で行う…」

「そうすれば、同盟関係も維持できる」

「ただし」

諸葛亮は慎重に言った。

「これは劉禅陛下の決断を仰ぐべきだ」

龐統は立ち上がり、長安の方向を見た。

「そうだな。まずは我らで案を練り、陛下に提案しよう」

二人が馬に乗り、長安に戻ろうとした時、一人の伝令が急いでやってきた。

「丞相!軍師!」

伝令は息を切らして報告した。

「魏軍が動きました!司馬懿が河東の守備を強化し、さらに北方から精鋭部隊が南下しています!」

諸葛亮と龐統は顔を見合わせた。

「洛陽への道を完全に封じる気か…」

龐統が呟いた。

「いや」

諸葛亮の目が鋭く光った。

「これは我らの注意を北に引きつけつつ、別の場所を狙っているのではないか」

「別の場所?」

「荊州だ」

諸葛亮は断言した。

「孫権が荊州問題を持ち出したことを、司馬懿は知っている。奴は我らの同盟関係に亀裂を入れようとしている」

龐統は理解し、頷いた。

「そうか…ならば我らは」

「荊州と長安、両方を守らねばならない」

諸葛亮は決意を込めて言った。

「そして何より、呉との同盟を維持するために、妥協点を見つけなければ」

二人は急いで長安へと馬を走らせた。

秋の風がふたりの背中を押し、新たな挑戦への決意を固めさせていた。

 

延康十一年(231年)冬 – 長安

雪が静かに降り積もる長安の宮殿で、重要な会議が開かれていた。

「これが我らの提案です」

諸葛亮は巻物を広げ、劉禅に示した。

「荊州南部を呉に譲渡する代わりに、江北での通商権と軍事通行権を確保します」

龐統が補足した。

「また、寿春攻略作戦での呉軍の全面協力も条件としています」

劉禅は黙って地図を見つめた。
荊州の南部は赤く塗られ、呉への譲渡予定地域を示していた。

「関羽将軍が命を懸けて守った地だぞ」

劉禅が静かに言った。

「簡単に手放してよいのか」

「陛下」

諸葛亮が慎重に言葉を選んだ。

「難しい決断です。しかし、今我らが最も注力すべきは北伐。魏を倒し、漢を再興するという大義です」

龐統も頷いた。

「もし荊州問題で呉と対立すれば、我らは二正面作戦を強いられます。それは避けるべきです」

「それに」

諸葛亮が付け加えた。

「この譲歩は単なる損失ではありません。長安を得た今、荊州南部よりも、洛陽への道を確保することが重要です」

劉禅はしばらく沈黙した後、ゆっくりと頷いた。

「二人が揃って言うのならば…」

劉禅は決断を下した。

「よし、この提案を孫権に送れ。ただし、呉が受け入れない場合の策も練っておくように」

諸葛亮と龐統は深く頭を下げた。

「御意」

会議が終わり、二人が宮殿の廊下を歩いていると、馬謖が急いで近づいてきた。

「報告があります」

馬謖は声を低めた。

「魏からの密使が到着しました。我らとの単独講和を望んでいるようです」

諸葛亮と龐統は驚きの表情を交わした。

「司馬懿の策だな」

龐統が言った。

「我らと呉の間に楔を打ち込もうとしている」

「どうされますか?」

馬謖が尋ねた。

諸葛亮はわずかに微笑んだ。

「会ってみよう。魏の提案を聞くだけなら害はない。そして…」

「そして?」

「魏の焦りを利用できるかもしれない」

龐統も頷いた。

「そうだな。魏が何を提示するか、どこまで譲歩するかを知れば、魏の内部状況も見えてくる」

「ただし」

諸葛亮が厳しい表情で付け加えた。

「この件は極秘に。呉の耳に入れば、誤解を招く」

二人は互いに見つめ合い、無言の了解を交わした。

蜀魏に複雑な外交戦が待ち受けていた。

 

延康十一年(231年)冬 – 洛陽

「魏に会うことに同意した」

司馬懿は静かに報告し、曹叡は満足げに頷いた。

「よし。第一段階は成功だ」

曹叡は言った。

「蜀は我らの提案をどう受け止めるだろうか」

「おそらく警戒しつつも、興味は示すでしょう」

司馬懿は答えた。

「蜀が本当に同意するかは別として、この接近自体が呉との関係に影響します」

「その通りだ」

曹叡は立ち上がり、暖炉に近づいた。
外は雪が降り続き、洛陽の冬の厳しさを物語っていた。

「もし情報が漏れれば…」

「孫権は激怒するでしょう」

司馬懿が言葉を継いだ。

「それだけで、呉蜀の同盟に亀裂が入る」

曹叡は火を見つめながら言った。

「蜀の二人の軍師、龐統と諸葛亮…奴らは賢明だ。簡単には策にはまらないだろう」

「はい。だからこそ、我らは実質的な譲歩も用意しています」

司馬懿は冷静に言った。

「漢中の一部返還を提案します。蜀にとって魅力的な条件であると同時に、魏にとっても受け入れられる損失です」

「そして蜀が断れば?」

「その場合も我らの目的は半ば達成されています」

司馬懿は自信を持って言った。

「蜀と呉の間に不信感を植え付けることができれば」

曹叡は司馬懿を見つめた。

「よい策だ。だが、もし蜀が本当に同意したら?」

「その時は…」

司馬懿はわずかに笑みを浮かべた。

「次の一手があります。結局のところ、この和平は時間稼ぎに過ぎません。我らは北方の問題が解決次第、全力で南に向かう予定です」

「そうだな」

曹叡は頷いた。

「では、使者を送れ。蜀との秘密交渉を進めよ」

司馬懿は深く頭を下げた。

冬の厳しい寒さの中、三国の間で新たな火種が芽生えようとしていた。

 

延康十二年(232年)初春 – 長安

雪解けの始まった長安で、諸葛亮と龐統は密かに魏の使者と会見していた。

「我が主、曹叡皇帝は平和を望んでいます」

魏の使者は丁寧に言った。

「無益な戦いを避け、民を苦しめないためにも」

「興味深い提案だ」

諸葛亮は穏やかに返した。

「では、具体的な条件を聞こう」

使者は緊張した様子で続けた。

「まず、現状の領土をそのまま認める。つまり、長安は蜀の領土として」

「それだけか?」

龐統が鋭く問うた。

「いいえ」

魏の使者は少し躊躇した後、決意を固めたように言った。

「さらに、漢中北部の返還も検討します」

諸葛亮と龐統は表情を変えず、互いに目を合わせた。

「なぜ魏がそこまでの譲歩を?」

諸葛亮が静かに尋ねた。

使者は用意された回答を述べた。

「我が国も長年の戦いで疲弊しています。北方の脅威も無視できません。今は内政を立て直す時期なのです」

龐統はゆっくりと茶を啜り、言った。

「そして、この提案について孫権は?」

使者は明らかに動揺した。

「こ、これは蜀と魏の二国間の問題です。呉は…」

「なるほど」

諸葛亮は微笑んだ。

「呉には内密に進めたいと」

使者は黙って頷いた。

諸葛亮は立ち上がり、窓の外を見た。

「魏の提案は持ち帰り、検討しよう。ただし、拙速な返答は期待しないでほしい」

「いつ頃までに?」

「一ヶ月後」

龐統が答えた。

「それまでに我らの回答を用意する」

使者が退出すると、諸葛亮と龐統は部屋に残った。

「司馬懿の策だな」

龐統がすぐに言った。

「そのようだ」

諸葛亮も頷いた。

「魏は我らと呉の同盟関係を崩したいのだ」

「だが、提案自体は悪くない」

龐統は考え込むように言った。

「漢中北部の返還は、戦わずして利益を得ることになる」

「それは巧妙な策だ」

諸葛亮は静かに言った。

「魏は本気で和平を望んでいない。魏は時間稼ぎをしつつ、蜀と呉の間に不信感を植え付けようとしている」

「では、どう対応する?」

諸葛亮はしばらく考えてから答えた。

「まず、この件を孫権に知らせよう。ただし、我らが断る意向であることも伝える」

龐統は驚いた様子で尋ねた。

「密談を公にするのか?」

「そうだ」

諸葛亮は頷いた。

「隠し事をすれば、後に発覚した時の方が関係は悪化する。むしろ、この機会に呉との信頼関係を深めよう」

「なるほど」

龐統は理解し、微笑んだ。

「魏の策を逆手に取るわけだ」

「そして」

諸葛亮が続けた。

「荊州問題の解決も急ごう。魏が動く前に、我らと呉の間の問題を解決しておくべきだ」

二人は互いに頷き合った。
呉蜀には、複雑な外交戦と同盟関係の試練が待ち受けていたが、二人の知恵を合わせれば乗り越えられない壁はないと信じていた。

 

延康十二年(232年)初春 – 建業(孫呉の都)

孫権は諸葛亮からの書簡を静かに読み終えると、深いため息をついた。

「なるほど…魏は我らの同盟を分断しようとしている」

横には陸遜が控えていた。
魏との密談に関する蜀からの書簡書を見て、陸遜の表情には複雑な思いが浮かんでいた。

「蜀の正直さは評価すべきでしょうか」

陸遜は慎重に言葉を選んだ。

「この密談を隠さず我らに伝えるとは」

孫権は微笑んだ。

「諸葛亮と龐統…二人揃うと厄介だな。我らが知らぬうちに話が進んでいたとしても、いずれ奴らは正直に打ち明けただろう。それを見越しての先手だ」

「確かに」

陸遜も頷いた。

「蜀は荊州南部の譲渡も同時に提案してきました。これも同盟強化の誠意の表れでしょうか」

「それとも、魏の提案を断る大義名分のための見せかけか」

孫権は窓の外に広がる建業の街を見つめた。
冬の名残の冷たい風が吹く中、人々は春の訪れを感じ始めていた。

「どちらにせよ、我らにとっては利益がある」

孫権は静かに言った。

「荊州南部を得るか、蜀との同盟を強化するか…」

陸遜は一歩前に出て、真剣な表情で言った。

「主君、今は共同北伐の機会です。長安を得た蜀は、かつてないほど洛陽への脅威となっています。我らが東から圧力をかければ…」

「魏は二正面作戦を強いられる」

孫権が言葉を継いだ。

「だが、その前に確認しておきたいことがある」

陸遜に向き直った。

「蜀は本当に信用できると思うか?」

陸遜はしばらく考えてから答えた。

「少なくとも諸葛亮と龐統が揃っている間は、奴らは合理的な判断をするでしょう。奴らは目先より大局を見る人物です」

「そうだな」

孫権はゆっくりと頷いた。

「では、蜀の提案を受け入れよう。荊州南部の譲渡と引き換えに、共同北伐の具体案を練ろう」

「御意」

陸遜は頭を下げた。

「そして」

孫権は鋭い目で続けた。

「魏にも回答を送れ。魏の裏工作は通用しないと」

陸遜は微笑んだ。

「まさに司馬懿の策が裏目に出ましたな」

孫権も笑みを浮かべた。

「時に、策は仕掛けた者自身を縛ることもある」

 

延康十二年(232年)春 – 洛陽

司馬懿は使者の報告を聞き終えると、静かに目を閉じた。

「案の定か…」

司馬懿の前には曹叡が座っていた。
皇帝は明らかに不満げな表情を浮かべていた。

「失敗だったということか?」

曹叡が尋ねた。

「いいえ」

司馬懿は冷静に答えた。

「予想された結果です。蜀が我らの提案を拒否し、呉に情報を流すことは織り込み済みでした」

「では何が得られた?」

曹叡は苛立ちを隠さずに問うた。

司馬懿はわずかに微笑んだ。

「蜀の反応速度です。諸葛亮と龐統は即座に対応し、情報を呉に流しました。これは蜀が常に警戒していることを示しています」

「それだけか?」

「いいえ」

司馬懿は続けた。

「最も重要なのは、蜀が我らの提案を真剣に検討したという事実です。つまり、蜀は和平の可能性を完全には排除していないのです」

曹叡はしばらく考え込んだ。

「しかし、結果として蜀と呉の同盟は強化されたのではないか?」

「表面上はそう見えます」

司馬懿は頷いた。

「しかし、種は蒔かれました。今回は情報を公にしたとしても、次は違うやもしれない。同盟国同士でも利害は完全には一致しません」

「北方の問題が片付くまでの時間稼ぎにはなったか?」

曹叡が問うた。

「はい」

司馬懿は自信を持って答えた。

「蜀は今、我らの内部状況を『北方に問題を抱えている』と理解しています。これにより、蜀の大規模な侵攻は少なくとも半年は遅れるでしょう」

「その間に我らは?」

「烏丸との和平交渉を完了させ、北方防衛線を強化します」

司馬懿は答えた。

「そして、次の策を練ります」

「次の策?」

司馬懿は一瞬ためらった後、慎重に言った。

「龐統と諸葛亮…二人が揃っている限り、蜀は強固です。しかし…」

「人は何れ死ぬ」

曹叡はその意図を理解し、冷たく言った。

「その通りです」

司馬懿は静かに頷いた。

「自然の摂理に委ねつつも、我らはその時の準備をしておくべきでしょう」

曹叡は立ち上がり、司馬懿に肩を叩いた。

「引き続き任せる。洛陽の運命は君の手にかかっている」

司馬懿は深く頭を下げた。
司馬懿の頭の中では、すでに次の一手が練られていた。

 

延康十二年(232年)夏 – 長安

長安の宮殿では、大規模な会議が開かれていた。
蜀の将軍たちが集まり、魏への次の一手を話し合っていた。

龐統は地図を指さした。

「洛陽への進軍路は二つ。北路と南路です」

諸葛亮が続けた。

「北路は山岳地帯を通るため難所が多いが、魏軍の不意をつく可能性がある。南路は平坦で進軍は容易だが、魏の防衛も厚い」

「呉軍の進軍予定は?」

劉禅が尋ねた。

「呉は淮水から北上し、徐州方面から圧力をかける予定です」

龐統が答えた。

「我らの北伐と同時期に」

馬超が前に出て言った。

「私は北路での進軍を提案します。険しくとも、奇襲の効果は大きい」

「同感だ」

魏延も賛同した。

「南路は司馬懿が警戒しているはずだ」

諸葛亮は黙って考え込んでいたが、やがて言った。

「実は、もう一つの選択肢がある」

全員の視線が諸葛亮に集まった。

「両方だ」

諸葛亮はきっぱりと言った。

「我らは兵を二手に分け、北路と南路の両方から進軍する」

「兵力分散は危険では?」

趙雲が懸念を示した。

龐統が間に入った。

「実はこれが奇策なのです。魏は我らが一方に集中すると予想している。両方から攻めれば、魏は兵力を分散せざるを得ない」

「さらに」

諸葛亮が続けた。

「これは見せかけにすぎない。実際の主力は…」

諸葛亮は地図上の一点を指した。

「ここだ。潼関を突破し、直接華北平原に出る」

龐統は満足げに頷いた。

「まさに我らが話し合った通りだ。三方向からの進軍に見せかけて、実際は潼関に集中する」

「司馬懿は読み切れるか?」

劉禅が疑問を呈した。

「奴は賢い」

諸葛亮は認めた。

「だが、あらゆる可能性を考慮すれば、兵を三分せざるを得ない。我らは魏の選択肢を減らすのだ」

龐統が付け加えた。

「そして、呉軍の東からの圧力も無視できない。四正面での防衛は、魏でも難しいはずだ」

劉禅はしばらく考えてから、決断を下した。

「よし、その計画で進めよう。北伐の時期は?」

「秋です」

諸葛亮と龐統が口を揃えた。

「涼しくなる秋の初めが最適です」

「準備を始めよ」

劉禅は命じた。

「そして、この計画は最高機密だ。漏れれば全てが水の泡になる」

全員が頷き、会議は終了した。
諸葛亮と龐統だけが部屋に残った。

「順調だな」

龐統が言った。

「呉との同盟も強化され、北伐の準備も整いつつある」

諸葛亮はしかし、少し物思いに沈んでいた。

「だが、一つ気になることがある」

「何だ?」

「司馬懿の沈黙だ」

諸葛亮は静かに言った。

「奴はただ時間稼ぎをしているだけではなく、何か策を練っているはずだ」

龐統も頷いた。

「確かに。奴は次の一手を用意しているだろう」

「我らも油断はできない」

諸葛亮は真剣な表情で言った。

「特に、内部からの裏切りや情報漏えいには警戒が必要だ」

「孔明ほどの心配性も珍しい」

龐統は笑いながらも、同意した。

「だが、用心に越したことはない。内部の監視も強化しよう」

二人は互いに頷き合った。

長安の夏の陽光が部屋を照らす中、二人の影は長く伸びていた。

 

延康十二年(232年)秋 – 洛陽郊外

「報告!」

使者が司馬懿の陣営に駆け込んできた。

「蜀軍が動きました!北路、南路、そして潼関の三方向から進軍しています!」

司馬懿は静かに報告を聞いていた。
司馬懿の表情は変わらなかった。

「呉軍は?」

「予想通り、徐州方面から北上を始めています」

司馬懿はゆっくりと頷いた。

「なるほど…呉蜀は本格的な共同作戦を開始したか」

「どう対処しますか?」

諸官が尋ねた。

「四方からの攻撃に兵を分散させるべきでしょうか?」

司馬懿は冷静に答えた。

「いや、それは罠だ。奴らの真の目標は…」

司馬懿は地図を見つめ、しばらく考え込んだ。

「潼関だ」

司馬懿は確信を持って言った。

「他は陽動に過ぎない。主力を潼関防衛に集中させよ」

「しかし、他の場所が手薄になります」

諸官が懸念を示した。

「構わん」

司馬懿は決然と言った。

「敵の策は見抜いた。蜀は我らの兵力分散を狙っている。だが、私はその策にはまらない」

司馬懿は立ち上がり、外を見た。
秋の冷たい風が吹き、木々の葉が舞い散っていた。

「それに」

司馬懿は微笑んだ。

「我らにも秘策がある」

諸官は驚いた表情を浮かべた。

「秘策とは?」

「時が来れば分かる」

司馬懿は静かに言った。

「今は命令通りに潼関の防衛を固めよ」

諸官は頭を下げ、退出した。
司馬懿は再び地図に向き合い、指で潼関の位置をなぞった。

「諸葛亮…龐統…」

司馬懿は二人の名を口にした。

「次は私の番だ」

 

延康十二年(232年)晩秋 – 潼関近郊

激しい戦いが続いていた。
蜀軍の猛攻に対し、魏軍は徹底的な防衛を敷いていた。

「予想以上の抵抗だ」

馬超は諸葛亮に報告した。

「司馬懿はすでに我らの策を見抜いていたようです」

諸葛亮は顔をしかめた。

「やはり…」

龐統が近づいてきた。

「北路と南路からの陽動も効果は限定的だった。魏軍の主力はほとんど潼関に集中している」

「しかし」

諸葛亮は言った。

「それは呉軍にとっては好機のはずだ。徐州方面の魏軍は手薄になっているはずだ」

「そう願いたいものだ」

龐統も頷いた。

「だが、報告では、呉軍も予想外の抵抗に遭っているという」

諸葛亮は眉をひそめた。

「どういうことだ?司馬懿が潼関防衛に集中しているなら、東方の守りは薄いはずだが…」

この時、別の使者が急いで駆け込んできた。

「緊急報告です!」

使者は息を切らしながら言った。

「呉からの連絡です。魏の別働隊が現れ、呉の後方を襲撃しています!」

「別働隊?」

龐統が驚いて尋ねた。

「兵の数は?」

「小数ですが、機動力が高く、呉軍の補給路を絶つことに成功しています」

諸葛亮と龐統は互いに顔を見合わせた。

「これが司馬懿の策か…」

諸葛亮が静かに言った。

「潼関での正面衝突を覚悟の上で、呉軍の進撃を阻止する別働隊を用意していた」

「我らの連携作戦を見抜かれていたのか」

龐統も重い声で言った。

諸葛亮はしばらく考え込んだ後、決断を下した。

「現状では潼関突破は難しい。一度撤退し、次の策を練り直そう」

「撤退?」

馬超が驚いた様子で尋ねた。

「ここまで来て?」

「無謀な突撃は多くの兵を失うだけだ」

龐統が説明した。

「今回は司馬懿の一手上だった。認めるべきだ」

諸葛亮は頷いた。

「撤退命令を出せ。ただし、秩序正しく。追撃を受けないように」

馬超は渋々と頷き、去っていった。

「我らの判断は間違っていなかった」

龐統は諸葛亮に言った。

「司馬懿が潼関に集中すると読んだのは正しかった。だが…」

「だが、司馬懿はそれを織り込み済みで別の策を用意していた」

諸葛亮が言葉を継いだ。

「我らは司馬懿の一歩先を読んだが、司馬懿は我らの二歩先を読んでいた」

「次は負けんぞ」

龐統は微笑んだ。

「次は三歩先を読んでやる」

諸葛亮も微かに笑みを浮かべた。

「そうだな。今回の経験は次に活かせる」

二人は静かに撤退準備を進めた。

潼関の戦いは蜀軍の撤退で終わりを告げようとしていたが、三国の攻防はまだ始まったばかりだった。

 

延康十二年(232年)冬 – 長安

「撤退は成功した」

諸葛亮は劉禅に報告した。

「兵の損失も最小限に抑えられています」

龐統も続けた。

「呉軍も同様に撤退し、現在は態勢を立て直しています」

劉禅はため息をついた。

「結局、成果なく冬を迎えることになったな」

「いいえ」

諸葛亮は静かに言った。

「成果はあります。我らは司馬懿の戦略を学びました。そして何より、呉との連携が実戦で試されました」

「次はより緊密に調整できるでしょう」

龐統も付け加えた。

劉禅は二人の軍師を見つめた。

「二人とも、本当に疲れていないか?」

確かに、諸葛亮の顔色は優れず、龐統も疲労の色が見えた。
長い間、二人は休むことなく蜀の発展と北伐の準備に心血を注いできた。

「少し休みを取ったらどうだ?」

劉禅は心配そうに言った。

「二人がいなければ、蜀は立ち行かない」

諸葛亮は微笑んだ。

「ご心配なく。私はまだまだ元気です」

「私も同様に」

龐統も頷いた。

「それに、次の北伐に向けた準備はすでに始めなければなりません」

劉禅は二人の決意に感動しつつも、懸念を抱いていた。

「では、せめて今宵は休め。明日からまた新たな戦略を練ればよい」

諸葛亮と龐統は頭を下げ、退出した。

宮殿の廊下を歩きながら、龐統が諸葛亮に言った。

「実は、少し心配なことがある」

「何だ?」

「最近、胸の調子が優れない」

龐統は静かに言った。

「昔から持病ではあったが…」

諸葛亮は立ち止まり、龐統をじっと見た。

「無理はするな。我ら二人がいてこその蜀だ」

「分かっている」

龐統は微笑んだ。

「だが、もし私に何かあっても、君なら一人でやっていけるだろう」

「そんな不吉なことを言うな」

諸葛亮は眉をひそめた。

「私たちはまだ長い道のりを共に歩むのだ」

「もちろん」

龐統も笑った。

「ただの取り越し苦労さ。さあ、今宵は久しぶりに酒でも飲もう」

諸葛亮も笑顔を取り戻した。

「それはいい考えだ」

二人は肩を並べて歩き続けた。

長安の夜は静かに更けていき、雪がまた降り始めていた。
次の北伐まで、ふたりにはまだ時間があった。
そして、その準備は明日から再び始まるのだった。

 

延康十三年(233年)春 – 洛陽

司馬懿は皇帝に報告を終えると、曹叡は満足げに頷いた。

「見事だった」

曹叡は称賛した。

「潼関の防衛と呉軍への奇襲、両方で成功を収めたな」

「はい」

司馬懿は謙虚に答えた。

「ただ、奴らは再び来るでしょう。今回は撤退しましたが、諸葛亮と龐統は簡単には諦めない」

「次は何時頃だ?」

曹叡が尋ねた。

「秋か…いや、もしかすると来年の春かもしれません」

司馬懿は考え込みながら言った。

「蜀は今回の教訓を活かし、より綿密な計画を立てるでしょう」

「では、我らも準備を」

「もちろんです」

司馬懿は頷いた。

「ただ…」

「何だ?」

司馬懿はしばらく黙っていたが、やがて静かに言った。

「蜀からの情報によると、龐統の健康状態が思わしくないようです」

「ほう?」

曹叡は関心を示した。

「確かなのか?」

「まだ確証はありません」

司馬懿は慎重に答えた。

「しかし、龐統は昔から持病があったと言われています」

「もし龐統が…」

曹叡は言葉を選びながら言った。

「蜀にとって大きな損害だな」

「はい」

司馬懿は静かに頷いた。

「諸葛亮と龐統、二人揃ってこその蜀です。どちらかが欠ければ…」

「絶好の機会となる」

曹叡は言葉を継いだ。

司馬懿は黙って頷いた。

二人の間に静寂が流れた。
外では春の陽光が洛陽の街を照らし、新しい季節の訪れを告げていた。

 

延康十三年(233年)夏 – 長安

龐統の病状は悪化していた。
長安の邸宅で、床に臥せていた。

「どうして私に黙っていた?」

諸葛亮は悲しみと怒りの入り混じった表情で訊いた。

「心配をかけたくなかったのだ」

龐統は弱々しく答えた。

「それに、北伐の準備が大事だった」

「馬鹿者!」

諸葛亮は珍しく声を荒げた。

「君の命の方が大事だ!」

「蜀の将来の方が…」

龐統は言いかけて咳き込んだ。

諸葛亮は龐統の手を取った。

「医師たちは?」

「もう手の施しようがないと」

龐統は静かに答えた。

「気を落とすな、孔明。私がいなくても、君なら…」

「黙れ」

諸葛亮は厳しく言った。

「そんな話はするな。君は必ず回復する」

龐統は微笑んだ。

「いつまでも現実逃避をするのは君らしくないな」

諸葛亮は言葉に詰まった。
目には涙が浮かんでいた。

「私の死を嘆くな」

龐統は静かに続けた。

「私は幸せだった。劉備殿に仕え、蜀の発展に貢献できた。そして何より…」

龐統は諸葛亮の目をまっすぐ見た。

「君という友を得られた」

諸葛亮は黙って頷いた。
言葉にならない感情が胸を満たしていた。

「一つだけ約束してくれ」

龐統は言った。

「北伐を諦めないでくれ。漢の再興という夢を」

「約束する」

諸葛亮はきっぱりと答えた。

「私が生きている限り、その志は継ぎ続ける」

龐統は満足げに微笑んだ。

「それを聞いて安心した」

そして、龐統は静かに目を閉じた。

数日後、龐統は延康十三年(233年)夏、長安の地で息を引き取った。
享年54歳。

蜀漢の軍師として、龐統は最後まで国と主君に忠誠を尽くした。

 

延康十三年(233年)秋 – 長安

龐統の葬儀は国を挙げての大規模なものとなった。
劉禅は喪主として前に立ち、諸葛亮をはじめ蜀の重臣たちが並んだ。

「龐統軍師将軍、蜀漢の礎を築いた功績は永久に記憶される」

劉禅は弔辞を述べた。

「龐統なくして今日の蜀はなく、我らは龐統の志を継ぎ、漢の再興を成し遂げる」

諸葛亮は静かに立っていた。
表情は硬く、悲しみを抑えているようだった。

葬儀の後、劉禅は諸葛亮を呼び寄せた。

「丞相」

劉禅は静かに言った。

「君一人に負担がかかることになる。無理はするな」

「ご心配なく」

諸葛亮は冷静に答えた。

「龐統の分まで働くつもりです」

「しかし…」

「陛下」

諸葛亮は真剣な表情で言った。

「龐統との約束があります。北伐を続け、漢の再興を果たすと」

劉禅は黙って諸葛亮を見つめた。
若き皇帝の目には、尊敬と懸念が混じっていた。

「分かった」

劉禅はついに頷いた。

「だが、健康には気をつけよ。君まで失えば、蜀は本当に終わりだ」

「はい」

諸葛亮は頭を下げた。

その夜、諸葛亮は龐統の書斎を訪れた。
そこには二人で練った数々の戦略書や地図が残されていた。

諸葛亮は龐統の机に座り、書簡を取り出した。
そこには「北伐新策」と書かれていた。
龐統の遺した最後の戦略だった。

諸葛亮はそれを広げ、静かに読み始めた。
やがて、表情に微かな笑みが浮かんだ。

「さすがだな、士元」

諸葛亮は静かに呟いた。

「最後まで私を驚かせる」

書簡には、これまでとは全く異なる北伐の計画が記されていた。
潼関を正面から攻めるのではなく、迂回路を使って洛陽の背後を突くという大胆な作戦が描かれていた。

 

延康十三年 – 最終章「鳳凰の遺志」

延康十三年(233年)冬 – 長安

夜が更けていた。
諸葛亮は龐統の書斎に籠もり、ろうそくの明かりだけを頼りに地図と向き合っていた。
龐統の「北伐新策」は、これまでの常識を覆す内容だった。

「洛陽背後からの奇襲か…」

諸葛亮は地図上に指を走らせた。
潼関を迂回して小道を通り、司馬懿の予想外の場所から攻め入る。
大胆かつ危険な作戦だった。

「士元、お前らしい策だ」

諸葛亮は苦笑した。
龐統は最期まで「鳳雛」の名に恥じない戦略家だった。

書斎の扉が静かに開き、姜維が入ってきた。

「丞相、まだ起きておられましたか」

「ああ、伯約。来てくれたか」

姜維は諸葛亮の隣に立ち、地図を覗き込んだ。

「これは…」

「龐統が遺した最後の策だ」

諸葛亮は穏やかに説明した。

「しかし、非常に危険な作戦です」

姜維は眉をひそめた。

「兵を少数に分け、敵地深くに進入するとなれば…」

「だからこそ成功する可能性がある」

諸葛亮は静かに言った。

「司馬懿は私が正面から攻めると思っている。奴の盲点を突く」

二人は黙って地図を見つめた。
やがて姜維が口を開いた。

「丞相、私にお任せください。先遣隊を率いて道を確保します」

諸葛亮は姜維の顔を見つめた。
かつて魏から来た若者は、今や蜀の将来を担う重要な人物になっていた。

「伯約、頼むぞ」

諸葛亮は頷いた。

「龐統の志を、共に継ごう」

 

延康十四年(234年)春 – 長安

「出陣の準備はいいか」

諸葛亮は馬車の中から問いかけた。
周囲には蜀軍の将兵たちが整列している。
今回は公には十万の大軍と称しているが、実際は六万。
残りの兵は姜維の指揮下で既に秘密裏に動いていた。

「はっ!」

魏延が前に出て頭を下げた。

「全て整いました」

「よし」

諸葛亮は静かに頷いた。
体調は万全とは言えなかったが、それを表情に出すことはなかった。

「諸君」

諸葛亮は将兵たちに向かって声を上げた。

「今回の北伐は、龐統軍師の遺策に基づく。勝利すれば、蜀漢の威名は大いに広がるだろう」

兵士たちから歓声が上がった。

「だが」

諸葛亮は声を低くした。

「我らが目指すのは単なる勝利ではない。先帝の志を継ぎ、漢室の再興を果たすことだ」

静寂が場を支配した。
諸葛亮の言葉が一人一人の心に染み入っていく。

「出陣!」

諸葛亮の号令と共に、蜀軍は動き出した。

 

延康十四年(234年)初夏 – 魏領内・秘密行軍路

姜維率いる先遣隊は、龐統の地図通りに進んでいた。
山奥の細道を抜け、人知れず魏の領内深くに侵入していた。

「姜将軍」

斥候が駆け寄ってきた。

「前方に魏軍の小隊が」

姜維は即座に判断した。

「回避する。見つかれば全てが水の泡だ」

隊は密やかに進路を変え、さらに山深く入った。
龐統の地図には、魏軍の巡回ルートまで記されていた。
まるで未来を見通していたかのようだった。

姜維は空を見上げた。

「龐統様、我らに道を示してください」

司馬懿は城壁の上から蜀軍の動きを観察していた。

「諸葛亮の動きが鈍い」

司馬懿は眉をひそめた。

「もっと積極的に攻めてくるはずだ」

側近が近づいてきた。

「報告があります。東方の山岳地帯で不審な動きが」

司馬懿は顔を上げた。

「何?」

「村人の話では、小規模な集団が通過したとのこと。蜀軍の旗印は見えなかったそうです」

司馬懿は考え込んだ。
東方と言えば、洛陽への道だ。
まさか…

「馬を用意しろ。部隊の半数を東へ向かわせる」

「しかし、ここは?」

「心配するな」

司馬懿は冷静に言った。

「諸葛亮は前線で足止めされている。これは…」

司馬懿の目が鋭く光った。

「龐統の策か」

 

延康十四年(234年)初夏 – 洛陽近郊

姜維の部隊は予定より早く目標地点に到達していた。
洛陽を見下ろす丘の上から、都の様子を窺っている。

「狼煙をあげよ」

姜維の命令で、兵士たちは山頂に特殊な狼煙を上げた。
これが諸葛亮への合図だった。

「さて、これからが本番だ」

姜維は剣を振り上げた。

「丞相と龐統様の策に従い、洛陽へ」

諸葛亮の馬車の中で、幕僚が報告した。

「姜維殿からの狼煙を確認しました」

諸葛亮は静かに頷いた。

「では、第二段階へ移行する」

諸葛亮は馬車から降り、将兵たちの前に立った。

「全軍、攻撃開始!」

突如として蜀軍は猛攻を開始した。
これまでの小競り合いとは全く異なる激しさだった。

司馬懿の副官が驚いて叫んだ。

「急に攻撃が激しくなりました!」

司馬懿はすでに現場を離れていたが、伝令が状況を報告した。

「まさか…」

司馬懿は顔色を変えた。

「これは囮か!」

すでに手遅れだった。

 

延康十四年(234年)初夏 – 洛陽

姜維の部隊は夜陰に紛れて洛陽城に忍び込んでいた。
龐統の地図には守備の手薄な場所が詳細に記されていた。

「皇宮へ!」

姜維は兵を率いて進んだ。

曹叡は突然の報告に驚いた。

「蜀軍が城内に?何故気づかなかった!」

近衛兵が慌てて報告する。

「司馬懿様は潼関方面へ」

「急いで呼び戻せ!」

しかし、時すでに遅し。
姜維の部隊は皇宮の外郭に到達していた。

司馬懿は馬を走らせていた。
洛陽からの伝令を受け取った後、すぐに方向転換したのだ。

「諸葛亮め…いや、これは龐統の策だ」

司馬懿は歯ぎしりした。

「死してなお、我を欺くか…」

曹叡は側近たちに囲まれ、皇宮の奥へと退避していた。

「陛下、この先に秘密の脱出路が」

しかし、その前に姜維の部隊が現れた。

「魏の皇帝、曹叡」

姜維は剣を構えた。

「降伏なされば命は助ける」

曹叡は姜維を見つめた。

「汝は姜維。魏から蜀へ寝返った男だな」

「私は漢の忠臣です」

姜維はきっぱりと言った。

緊張が走る中、突然の物音が響いた。
司馬懿の率いる援軍が到着したのだ。

「陛下!」

司馬懿は叫んだ。

姜維は咄嗟に判断した。

「撤退!目的は達成した」

蜀の本当の目的は曹叡の捕縛ではなく、魏の中枢を混乱させることだった。
そして何より、司馬懿を潼関から引き離すこと。

司馬懿が不在の間、諸葛亮は潼関への総攻撃を命じていた。

「一気に突破するぞ!」

魏延が先頭に立ち、兵を鼓舞した。

「丞相の指示通り、司馬懿の留守を突け!」

守備隊は善戦したが、司馬懿の不在は痛かった。
潼関の一部が蜀軍に奪取された。

 

延康十四年(234年)初夏 – 洛陽郊外

姜維の部隊は巧みに洛陽を脱出し、山岳地帯へと逃れた。

「追撃を振り切りました」

副官が報告した。

姜維は満足げに頷いた。

「丞相の計画通りだ。潼関は?」

「伝令によれば、一部確保したとのこと」

「よし」

姜維は微笑んだ。

「これで第一段階は成功だ」

司馬懿が潼関に戻ったとき、すでに状況は一変していた。

「関の東部が陥落?」

司馬懿は怒りを抑えきれなかった。

「すぐに反撃準備を」

しかし、諸葛亮はすでに次の手を打っていた。
占領した拠点を堅固に防備し、簡単には奪還できない状態にしていたのだ。

「諸葛亮…」

司馬懿は静かに呟いた。

「いや、これは龐統と諸葛亮、二人の策だ」

 

延康十四年(234年)秋 – 長安

諸葛亮は長安に凱旋した。
完全な勝利ではなかったが、重要な拠点を獲得し、魏に大きな打撃を与えたことで、蜀の士気は大いに上がっていた。

劉禅は諸葛亮を迎えた。

「丞相、よくやった」

「陛下」

諸葛亮は頭を下げた。

「これは龐統の遺策によるものです」

「龐統…」

劉禅は懐かしむように呟いた。

「士元は死してなお、蜀に貢献しているのだな」

「はい」

諸葛亮は静かに頷いた。

「士元の策はまだ終わっていません。これは序章に過ぎない」

「どういうことだ?」

「北伐新策は三段階からなります」

諸葛亮は説明した。

「今回は第一段階。次は…」

 

延康十四年(234年)冬 – 長安・龐統の墓前

雪が静かに降る中、諸葛亮は龐統の墓を訪れていた。

「士元」

諸葛亮は静かに語りかけた。

「第一段階は成功した。あなたの策通りに」

風が冷たく頬を撫でる。

「次は第二段階…そして最終段階へと」

諸葛亮は北を見つめた。蜀軍の勝利はまだ始まったばかりだった。

「必ず漢を再興させる。あなたとの約束だ」

諸葛亮の目には、決意の光が宿っていた。
龐統の死は彼に大きな喪失感をもたらしたが、同時に新たな力も与えたのだ。

「休めるのはまだ先だ、士元」

諸葛亮は墓に一礼し、長安へと戻っていった。

北伐は続く。
龐統の遺した「北伐新策」は、蜀の運命を変えるかもしれなかった。
そして諸葛亮は、友の遺志を継ぎ、最後まで漢の再興を目指すだろう。

史書には記されなかった、もう一つの三国志の物語。
龐統が生き延びた世界線において、蜀漢の命運は変わりつつあった。

 

三国志のおすすめ小説!

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【歴史小説シリーズ】三国志 第一話① 眼醒め前の英雄
「おい!玄徳よ!お前は漢(おとこ)として生まれておきながら、なんて有様なのだ!」「私はただのむしろ売りの身。あなたは...。」「なんということだ!これだけ国が乱れておるというのに。お前には志はないのか!」「私にだって志ならある!しかし...。」

 

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