三国志 第二話➄ 霊帝崩御
中平六年(189年)夏、霊帝は病状が悪くなり、後事のことで大将軍の何進を宮中に呼んだ。
この何進の妹が宮中に入って貴人となり、皇子辯を産み、皇后に立てられている。
霊帝は、王美人は寵愛し、皇子協が産まれた。
これを嫉んだ何皇后は、王美人を毒殺し、皇子協は董太后の御許で養われている。
董太后とは、霊帝の御生母であり、解瀆亭候劉萇(りゅうちょう)の妻であった。
桓帝に御子がいなかったため、劉萇の子を迎い入れたのだが、これが霊帝である。
董太后は皇子協を勧めており、霊帝も寵愛する皇子協を立てたいと考えていた。
霊帝の容態が日に日に悪くなっていくと、中常蹇碩が奏上した。
「もし協皇子をお立てになるのであれば、何進を誅して禍根を絶たれますように。」
霊帝も蹇碩の言う通りと考え、何進を呼び寄せたのである。
御門まで来た何進を、司馬の藩隠が引き止め、
「参内してはなりませぬ。蹇碩が将軍のお命を狙っておりまする。」
これを聞いた何進は大いに驚き、急いで帰宅すると、諸大臣を集めて宦官を誅殺しようとした。
そこに、進み出て来た者がいた。
「宦官の勢いは沖帝や質帝の時代から起こったもので、朝廷内にくまなく蔓延っている今、宦官を誅滅して一掃することなど、到底できるものではありません。情報が洩れれば、一族皆殺しの禍にあうのは必定。よくよくお考えください。」
進言したこの者こそ、典軍校尉の曹操である。
これを聞いた何進は、
「そなたごとき小輩に、朝廷の大事がわかるものか!」
と、曹操を一喝して退けた。
方策も決まらないままでいるとき、藩隠が来て報告した。
「帝が崩御されました。いま蹇碩が十常侍と共謀して偽りの詔を出し、将軍を誅殺して協皇子を擁立しようとしております。」
そこへ勅使が到着し、後事を定めるために参内するようにと伝えられた。
「今はこれに従い、然るべきときに賊を滅ぼすことこそ肝要かと存じます。」
と曹操が言い終わると、
「誰か、余のために賊を討つものはおらぬか?」
何進の言葉に、一人の漢が進み出た。
この漢(おとこ)とは、誰か?
それは、次回で。
第二話⑥
小説で楽しむ三国志
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