【日本の歴史にある空白の150年】謎に包まれた歴史に迫ってみた!
日本の歴史には、「空白の150年」や「空白の4世紀」と呼ばれる時期があります。
西暦266年から413年にかけての約150年間を指し、大きな謎に包まれています。
邪馬台国からヤマト王権の間に何があったのか?
歴史に迫ってみたいと思います。
邪馬台国の卑弥呼(ひみこ)
3世紀初頭には、邪馬台国を女王卑弥呼が統治しており、西暦239年に中国の魏王朝から
「親魏倭王」の称号を受けたことが、正史三国志の「魏志倭人伝」に記載があります。
台与(または壱与)の登場
卑弥呼の死後、邪馬台国の後継者として台与(とよ)が女王となります。
266年に中国の晋王朝に使者を送りました。
日本書紀、正史三国志や正史晋書などから確認できます。
しかしながら、その後の日本に関する記録は途絶えてしまいます。
次に登場するのは、5世紀初頭の「倭の五王」です。
その頃の中国では...
西暦266年の中国では、司馬炎が武帝として晋を建国、西暦280年には中華統一を果たす。
しかし、司馬炎崩御後、皇族たちによる八王の乱と呼ばれる内乱が起き、国内は大きく乱れる。
これを機に、中華周辺の異民族が永嘉の乱を起こし、五胡十六国時代が始まります。
五胡とは匈奴、鮮卑、羯、氐、羌の5つの異民族を指します。
西暦304年から439年の中国は争乱期でした。
この時期の日本の記録がない原因のひとつとして、考えることができると思います。
空白の150年に起こった出来事
前方後円墳の出現
空白の150年の間、日本ではヤマト王権の象徴とされる前方後円墳が作られるようになります。
この時期は中国と同様、日本でも国同士の争い、その勝者がヤマト王権を作ったのでしょうか。
騎馬文化の導入
この期間には馬や牛が導入され、騎馬文化が始まりました。
魏志倭人伝によると、倭国には馬や牛がいなかったとされています。
日本が独自に生み出したのか、異民族である騎馬民族が日本に入ってきたのでしょうか。
邪馬台国とヤマト王権の関係
邪馬台国がヤマト王権の前身となったのか、別の勢力によってヤマト王権を築いたのでしょうか。
邪馬台国には、九州説や畿内説、九州から畿内への東遷説などがあり、不明な点が多いです。
今後の発見に期待されます。
空白の150年の後
倭の五王の登場
5世紀初頭には、正史『宋書』などに「倭の五王」として
- 讚(さん)
- 珍(ちん)
- 済(せい)
- 興(こう)
- 武(ぶ)
という5人の王の記録があります。
文化の変化
- 騎馬文化の登場
- 青銅器から鉄器に
広開土王碑碑には、倭は朝鮮半島(高句麗、百済、新羅)に出兵(391~404年)とあります。
大陸から新しい文化が入ったきっかけでないでしょうか。
富雄丸山古墳の発掘
2023年1月、空白の150年に造られたとされる奈良市の富雄丸山古墳で発掘調査が行われ、独特
な形をした鏡と蛇行剣が見つかり話題となりました。
この発見により、空白の150年を解き明かす手掛かりになるのではと注目されています。
結論
現在でも、空白の150年は、日本の歴史において大きな謎とされていますが、近年の研究や発掘
調査によって少しずつその実態が明らかになりつつあります。
この期間に日本列島で何が起こったのか、邪馬台国とヤマト王権の関係、前方後円墳や騎馬文化、
鉄器の登場など、興味深いテーマが多く存在します。
今後の研究によって、真相が明らかになることを期待しています。
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