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私とAIが描いた創作小説「夜明けに鳴る鼓 -豊臣秀長異伝-」

私とAIが描いた創作小説「夜明けに鳴る鼓 -豊臣秀長異伝-」

夜明けに鳴る鼓 -豊臣秀長異伝-

序章 – 暗闇の夜

天正19年(1591)1月、大坂城。

冷たい風の石垣を打ちつける音が、まるで遠くの太鼓のように聞こえた。
大広間から見える庭園の松は、風に揺れながらも毅然と立っていた。

「利休の首を刎ねよ」

豊臣秀吉の声は低く、しかし揺るぎない威厳を放っていた。
その目には、かつての温和な面影はなく、ただ冷たい光だけが宿っていた。

側近たちが息を呑む中、ただ一人、石田三成だけが顔を上げて主君を見つめていた。

「太閤様、利休殿は長年にわたり茶道をお導きになられた方。お考え直しを…」

秀吉の顔に一瞬、怒りが走った。
しかし、すぐに静まり、代わりに不気味な微笑みが浮かんだ。

「三成、お主はわしの心が読めるか?」

秀吉は静かに言った。

「利休は出過ぎた。その茶室に自らの像を置くとは、この秀吉をも見下すつもりか」

広間に重い沈黙が流れる。
かつて秀吉と千利休が笑い合った宴席の記憶が、まるで遠い話のように感じられた。

「もし秀長が…」

誰かが小さく呟いた。

秀吉の眼が鋭く光った。

「秀長ならどうする?そう言いたいか?」

誰も答えられない。

豊臣秀長(秀吉の弟にして、その政治手腕で支えてきた右腕)は今、生死の境をさまよっていた。
数ヶ月前から続く病により、秀長の部屋からは医師たちが慌ただしく出入りする姿ばかりが見られるようになっていた。

秀吉は立ち上がり、障子の外を見つめた。
弔いの鐘が遠くから聞こえてくるようだった。


「清正、正則、いかがじゃ?朝鮮の様子は」

秀吉は疲れた表情で、朝鮮出兵から戻った武将たちに問うた。

加藤清正が頭を下げる。

「太閤様、我らは平壌まで進軍しましたが、明の援軍が…」

「負けたと言うのか?」

秀吉の声が鋭く響く。

「いいえ、撤退を余儀なくされただけにございます。もう一度、兵を送れば…」

秀吉は手を上げて清正の言葉を遮った。

「送る。より多くの兵を送る。朝鮮、そして明までこの秀吉の名を知らしめねばならぬ」

広間の隅で、徳川家康の目が微かに細められた。

かつての織田信長の家臣として共に戦った仲間たちの多くは、今や冷たい土の下にいる。
そして今、秀吉の狂気とも思える野心は、さらに多くの命を奪おうとしていた。


夜が更けていく。

秀長の寝所では、医師たちがひそひそと話し合っていた。

「もはや手の施しようがございません…」

老医師の言葉に、側に控えていた藤堂高虎の顔が暗く沈んだ。
秀長は今や骨と皮だけになり、その息は弱々しく、時折途絶えそうになっていた。

「何か、何か方法は…」

高虎は歯を食いしばった。

その時、部屋の隅に控えていた一人の若い侍医が進み出た。

「一つだけ…南蛮から伝わった薬がございます。しかし…」

「効くのか?」

高虎の目が鋭く光った。

「南蛮人の話では、死の淵から命を救い出すと…」

高虎は一瞬ためらった後、決断した。

「用いよ。今の殿を救えるものなど他にない」

若い医師は小さな薬壜を取り出した。
茶色の硝子に入った液体が、松明の光に照らされて不思議な色を放っている。

「これが…歴史を変える薬になるやもしれませぬ」

医師はつぶやくように言った。

時は、深い夜を迎えていた。
東の空がほんの少し、色を変え始めていることに気づく者はいなかった。

やがて夜明けの鼓が鳴り、新たな一日が始まる。
それはまた新たな歴史の始まりでもあった

南蛮の薬が奇跡を起こす日。

 

第一章 夜明けの鼓動

「…殿!秀長様が目を覚まされました!」

藤堂高虎は廊下を駆け抜け、侍医の言葉が本当かどうか確かめるために秀長の寝所へと急いだ。
冬の朝日が障子を通して、室内に淡い光を投げかけていた。

寝床で、秀長はゆっくりと上体を起こしていた。
その顔色は依然として蒼白だったが、数日前の死相とは明らかに違っていた。
目には弱々しくも確かな光があった。

「殿…」

高虎は畳に膝をつき、感情を抑えきれず声を震わせた。

秀長は、か細い声で言った。

「高虎か…何日眠っていた?」

「十日余りにございます。医師たちはもう…」

高虎は言葉を飲み込んだ。

秀長は弱々しく微笑んだ。

「死を覚悟していたと言いたいのだな」

秀長は静かに周囲を見回した。

「あの南蛮の薬か?」

高虎は驚いた。

「殿はご存知だったのですか?」

「微かな意識の中で、話が聞こえていた」

秀長は言った。

「命を救ってくれた者を呼べ」

若い侍医が呼ばれ、恐る恐る進み出た。

「宗見と申します。南蛮の医術を学んでおりました」

秀長は侍医を見つめ、静かに問うた。

「この薬、もうないのか?」

宗見は小さく頭を下げた。

「これが最後でございます。南蛮の宣教師から譲り受けた貴重な薬でして」

「そうか」

秀長は深い意味を込めて言った。

「感謝する」


秀長の奇跡的な回復の知らせは、数日のうちに大坂城中に広まった。
そして、ついに太閤・秀吉の元にも届いた。

「本当か?秀長が目を覚ましたと?」

秀吉の声には信じられない様子が混じっていた。

「はい、日に日に力を取り戻されております」

報告する侍従に、秀吉はしばし黙考した。

秀吉の表情が複雑に変化した。

そこには喜びと共に、何か別の感情があった。

「すぐに秀長に会いに行くぞ」


秀吉が秀長の寝所に訪れたのは、回復の知らせから三日後のことだった。

「秀長!」

秀吉は豪快に部屋に入ってきた。
その声と姿は相変わらず精力的だったが、表情には疲労の色が見えた。

秀長はゆっくりと起き上がり、兄を迎えた。

「兄上、心配をかけたな」

「何を言うか。わしが天下を取れたのも秀長のおかげ」

秀吉は秀長の傍に座った。

「早く良くなれよ。お前がいないと、家中が騒がしくてな」

表面上は明るい会話だったが、二人の間には言葉にならない緊張が流れていた。
秀長は兄の目を見つめた。
そこには、かつての清々しい武将の面影はなく、権力に取り憑かれた人間の疑念と強欲が渦巻いていた。

「朝鮮はどうなっている?」

秀長は静かに尋ねた。

秀吉の表情が一瞬硬くなった。

「うまくいっておらぬ。明が大軍を送ってきた。だが、心配するな。第二次征伐の準備は整いつつある」

秀長はゆっくりと頷いた。

「そうか。だが、兄上…」

「何だ?」

「考え直す余地はないのか…?」

秀吉の目が鋭く光った。

「秀長、お前は病から目を覚めたばかりだ。国のことはわしに任せておけ」

秀長は微かに苦笑した。

「そうだな。すまない」

秀吉は立ち上がり、

「早く回復して、共に天下を動かそうぞ」

と言い残して去っていった。

部屋には再び静けさが戻った。

秀長は障子の外を見つめながら、心の中で決意を固めていた。


それから一ヶ月後。

「殿、このような状態で政務復帰は…」

藤堂高虎の心配そうな言葉に、秀長は杖を突きながらも毅然とした態度で答えた。

「高虎、時間がない。兄上は日に日に変わっていく。朝鮮の戦、利休の件、そして…」

秀長は言葉を選んだ。

「次の犠牲者が出る前に、わしが止めねばならぬ」

高虎は主君の決意を見て取り、深く頭を下げた。

「承知しました。ですが、どのようにして?秀吉様は誰の言葉も聞き入れようとされません」

秀長は静かに微笑んだ。

「直接対峙はしない。兄上の周りを固める。まずは、石田三成と黒田官兵衛を呼べ。ふたりと共に動くのだ」

「しかし、官兵衛殿は…」

「表向きは秀吉に忠誠を誓っていようと、官兵衛もまた苦悩している。この目で見た」

秀長は言った。

「そして、ある人物を探し出してほしい」

「どなたでしょう?」

「徳川家康だ」

秀長の目が鋭く光った。

「家康の野心は知っている。だが今は、その野心を利用する」

高虎は驚きを隠せなかった。

「家康殿を…味方に?」

「敵でも味方でもない。ただ、戦のない世を作るため」

秀長はゆっくりと立ち上がった。

「早速、取り掛かろう。夜明けの鼓が鳴る前に」

障子の外では、早春の淡い陽光が大坂城を照らし始めていた。

秀長の政務復帰と共に、豊臣政権に新たな鼓動が生まれようとしていた。

 

第二章 静かなる舵取り

「この地図をご覧ください」

石田三成は大きな朝鮮半島の地図を広げ、秀長と高虎の前で説明を始めた。
晩春の陽光が書斎に差し込み、地図上の陣形を照らしていた。

「我が軍は平壌まで進軍しましたが、明軍の介入により撤退。現在は釜山周辺に布陣しています。秀吉様は二次出兵を強く望んでおられますが…」

秀長は地図をじっと見つめながら言った。

「無謀だ。明との全面戦争では支えきれぬ」

「しかし、秀吉様をどうやって説得すれば…」

高虎が難しい表情で言葉を濁した。

秀長は静かに微笑んだ。

「直接反対はしない。まずは講和の道を探る。三成、明との外交経路はあるか?」

三成は頷いた。

「対馬の宗氏を通じて可能です。ただし…」

「宗氏には褒美を与える」

秀長は言った。

「そして、講和条件はこうだ。我らは既に勝利したという体面を保ちつつ、朝鮮から撤退する」

「面子を保ちながら、実を取るというわけですな」

黒田官兵衛が部屋に入ってきた。

「まさに秀長様らしい策です」

秀長は官兵衛を見て頷いた。

「次は、朝鮮出兵に反対している諸大名を探り、密かに手を組む。適任はおらぬか?」

官兵衛がすぐに答えた。

「前田利家殿。表向きは秀吉様に従いながらも、内心では疑問を持っておられます」

「よし。利家殿と接触せよ」

秀長は決断した。

「そして…」

秀長は躊躇した後、続けた。

「家康にも会う。家康もまた、この出兵に賛成ではない」

三成の顔に不満の色が浮かんだが、口には出さなかった。
秀長はそれを見逃さなかった。

「三成、心配するな。家康を信用するわけではない。ただ、力を借りるのだ」


二週間後、京都の一角にある隠れ家のような茶室。

徳川家康と秀長は向かい合って座っていた。
茶室には二人だけ。
警護の家来たちは遠くに控えている。

「お元気か、秀長殿」

家康は茶碗を手に取りながら言った。

「死の噂まで流れたが、見事な回復ぶりだ」

「家康殿も相変わらず、お変わりなく」

秀長は答えた。

「早速だが、朝鮮の件について話したい」

家康の目が細められた。

「兄上の健康が優れぬことは、貴殿も気づいておられるでしょう」

秀長は静かに茶を啜った。

「この戦を続ければ、国は疲弊する」

「同感だ」

家康はあっさりと認めた。

「だが、秀吉公の決意は固い」

「だからこそ、我らが動かねばならぬ」

秀長は真っ直ぐに家康を見た。

「明との講和を、家康殿にも支援してほしい」

家康はしばらく黙って考え込み、やがて口を開いた。

「面白い提案だ。だが…何故、私に協力を?」

「貴殿は、この戦の無益さを知っておられるからだ」

秀長は答えた。

「そして…」

秀長は意味深な微笑みを浮かべた。

「何れ、天下人に君臨するかもしれぬ者には、責任も必要だからな」

家康の表情が一瞬凍りついた。
秀長は自分の言葉が、家康の野心を見透かしていることを明らかに示した。

「やはり、流石は秀長殿」

家康はゆっくりと頷いた。

「よかろう。私なりに協力はしよう。だが、これは秀吉公への裏切りではない。国のためだと心得よ」

「無論。すべては秀吉と国のため」

秀長は茶碗を置いた。

二人の間に、言葉にならない同意が生まれた。
この日から、朝鮮からの撤退へ向けた水面下の動きが始まった。


「叔父上、本当にこのようなことで…」

豊臣秀次は不安そうな表情で秀長を見つめていた。
二人は大坂城内の静かな庭園を歩いていた。
夏の暑さが二人を包み込んでいる。

「秀次、聞け」

秀長は甥の肩に手を置いた。

「兄上の不興を買うような振る舞いは避けよ。特に今は」

「しかし、私はただ茶人たちと…」

「それがいかんのだ」

秀長は真剣な表情で言った。

「利休の件以来、兄上は茶の湯に関わる者たちを疑っておられる。お前が兄上の後継者である今、一切の疑いを招くな」

秀次は叔父の言葉に驚いたように目を見開いた。

「叔父上は…何かをご存知なのですか?」

秀長はゆっくりと頷いた。

「兄上の中に、お前への猜疑心が芽生えつつある。生まれた秀頼君への思いが強まるにつれ…」

秀次の顔から血の気が引いた。
秀頼の誕生は、養嗣子である秀次の立場を危うくしていた。
その兆候を秀長は察知していたのだ。

「どうすれば…」

「まず、兄上の前で忠誠を示せ」

秀長は言った。

「そして、わしが動く。太閤と秀頼君、そして秀次、三者が共に栄える道を提案する」

秀次は不安そうに空を見上げた。

「本当にできるのでしょうか…」

「できる!」

秀長の声には強い決意があった。

「兄上の狂気を止めるのが、この秀長の務めだ」


数日後、秀長は秀吉との謁見の機会を得た。

「兄上、秀次のことで一案がございます」

秀長は丁重に申し出た。

「秀次か…」

秀吉の目が曇った。

「最近の秀次の行動は不快だ」

秀長は冷静に言った。

「若さゆえの過ちでしょう。しかし、秀次の忠誠に疑いはありません」

「ふむ…」

「兄上のご子息・秀頼様が健やかに成長されることは、この上のない喜びです」

秀長は続けた。

「そして、その成長を支え、守るのが秀次の役目ではないでしょうか」

秀吉は興味を示した。

「どういうことだ?」

「秀頼が成人されるまで、秀次が摂政として政を担う。そして秀頼様の成人後は、秀次殿が軍事を統括し、秀頼を支える。」

秀吉は黙考した。

秀長の提案は、秀頼の地位を脅かすことなく、秀次の立場も活かせるものだった。

「面白い案だ…」

秀吉は言った。

「だが、秀次は本当に信頼できるか?」

「それを確かめるため、京都の政務を任せてはいかがでしょう」

秀長は提案した。

「伏見城を拠点に、秀次に政治手腕を示させる」

秀吉の表情が和らいだ。

「うむ、それもよかろう。だが、常に監視の目は必要だな」

「無論です。私自ら見届けましょう」

秀長の静かな舵取りが、一族の運命を変えようとしていた。


「これは…」

秀長は差し出された茶碗を手に取り、じっくりと見つめた。
わびさびの極致とも言える、質素でありながら深みのある一品だった。

「千家の三男、宗旦の作でございます」

案内役の茶人が説明した。
二条城の一室に、秀長は新鋭の茶人や工芸家たちを集めていた。

「利休亡き後、茶の湯の道は閉ざされたかに思われたが」

秀長は静かに言った。

「だが、新たな芽は確かに育っている」

集まった茶人たちの顔に、希望の色が浮かんだ。
利休の切腹以来、茶人たちは活動を控えざるを得なかったのだ。

秀長は茶碗を置き、一同に向かって言った。

「兄上は茶を愛する心をお持ちだ。ただ、利休の件で傷ついておられる。その傷を癒すのは、新たな文化が必要じゃ」

「しかし、秀吉様は…」

「恐れるな」

秀長は微笑んだ。

「私が兄上に進言する。京の北、相国寺近くに茶の湯と諸芸の館を設ける。そこで皆、腕を磨き、何れ兄上にもご覧いただく」

「まさか…」

茶人たちの間に驚きの声が広がった。

「利休の弟子たちも、隠れずともよい」

秀長は続けた。

「ただし、政に関わる話は厳禁だ。茶道を究めよ」

この会合から、後に「豊光館」と呼ばれる文化施設の構想が生まれた。
秀吉の怒りと猜疑心を、文化の力で静かに鎮めようという秀長の案だった。


秋も深まる頃、秀長は再び家康との密会の場を設けた。
今度は伊勢の片田舎の寺院だった。

「話は進んでいる」

秀長は家康に告げた。

「明との密使が対馬に到着した。講和の条件として、朝鮮王子の人質と服属を要求しているが、撤兵を認めるとのことだ」

「秀吉公は?」

家康は問うた。

「まだ知らせていない」

秀長は静かに言った。

「だが、兄上の体調は日に日に優れぬ。医師の話では、あと二年もつかどうか…」

家康は目を見開いた。

「そんなに…」

「講和が成立すれば、兄上の面子は保たれる。そして、我が国も消耗を免れる」

秀長は言った。

「家康殿、ここが正念場だ」

家康はしばらく考え込んだ後、決断を下した。

「わかった。私も諸大名に働きかけよう。前田利家、毛利輝元…も講和を望んでおる」

秀長は深く頭を下げた。

「感謝します」

二人が寺を後にする頃、遠くで鼓の音が聞こえた。
村の祭りの音だった。

秀長はその音に耳を傾けながら思った。

「夜明けはまだ遠いが、着実に近づいている」

 

第三章 新たな秩序

伏見城の一室に、沈黙が満ちていた。

障子越しの淡い光が、床に横たわる秀吉の顔を照らしていた。
黄土色に変色した肌、骨ばった頬。
かつて天下を揺るがした「太閤」の声は、今や囁きにも満たない息遣いに変わっていた。

秀長は、兄の手を静かに握りしめた。
二年前から病床にあった秀吉の容体は、この夏に入って急速に悪化していた。
暑さの厳しい日々が続いていた。

「兄上」

秀長の声に、秀吉のまぶたが微かに動いた。

「秀長か…」

秀吉の目は半ば開き、焦点を結ばないまま天井を見つめていた。

「秀頼は…どこじゃ」

「隣室におります。お呼びいたしましょうか」

秀吉は微かに首を振った。

「まずは…お前と話したい」

秀長は兄の手を両手で包み込んだ。
兄の手は、驚くほど小さくなっていた。

「朝鮮は…どうなった」

秀長は一瞬、目を閉じた。
三ヶ月前、加藤清正たちを率いる最後の撤退船が帰国したばかりだった。
朝鮮出兵は、秀長の調停により全面撤退という形で終わりを迎えていた。

「すべて終わりました」

秀吉の目に微かな光が宿った。

「そうか…」

秀吉は言葉を継ごうとしたが、咳込んでしまった。
秀長は兄の背を支えた。

「ご無理をなさらず」

咳が収まると、秀吉は再び言葉を紡ぎ始めた。

「秀頼のことを…頼む。わしがおらなくなってからが…本当の戦いじゃ」

「ご心配なさらずとも。秀頼様は立派に育っておられます。私が命ある限り、お守りいたします」

秀吉の目から一筋の涙が流れ落ちた。

「兄上のご心配は無用です。秀頼を中心に、この国を治めて参ります」

秀吉は微かに笑みを浮かべた。
それは安堵の表情だった。

「お前がおれば…安心じゃ。あの時…お前が死なずに済んだことが…わしの運は使い果たしたのかもしれん」

「秀長…」

「秀頼を…連れてきてくれ」

秀長は静かに立ち上がり、障子を開けた。
秀頼が、乳母と共に待っていた。

「殿が、お呼びです」

秀頼は小さな体を精一杯、威厳を保ちながら入室した。
秀吉の枕元に座った秀頼の横顔には、既に父親譲りの凛とした佇まいがあった。

秀吉と秀頼の別れの言葉を、秀長は少し離れた場所から見守った。
その間にも、城内には足音が絶えず、重臣たちの出入りが続いていた。

その夜、伏見城の太鼓楼から、重い音が響いた。

「ドンドンドン」

夏の夜空に、秀吉の死を告げる鼓の音が広がっていった。


「まずは五大老・五奉行の体制を固めましょう」

秀吉の葬儀から一週間後、伏見城の一室に秀長は側近を集めていた。
藤堂高虎、増田長盛、前田玄以、そして石田三成の姿があった。

「徳川殿の動きは?」

高虎が切り出した。

秀長は扇子を開き、軽く仰いだ。
初秋とはいえ、まだ暑さが残っていた。

「早くも江戸に戻る準備をしておられるようだ。しかし、評議を開くまでは動けまい」

「家康殿の心中は読めませぬ」

と石田三成が言った。
鋭い目が宙を睨んでいた。

「太閤様の存命中でさえ、あの方は独自の道を歩まれておりました」

「だからこそ」

秀長は扇子を閉じ、膝の上に置いた。

「我らは冷静さを失ってはならん。家康殿も含めた五大老の合議制こそが、今は必要だ」

秀長は静かに言葉を選びながら続けた。

「前田利家殿、上杉景勝殿、毛利輝元殿、徳川家康殿、そしてこの秀長—五人を大老とする。五奉行には、石田、増田、長束、前田玄以、浅野」

高虎が眉を寄せた。

「徳川と上杉は犬猿の仲。このままでは…」

「だからこそ、よい」

秀長は穏やかに微笑んだ。

「互いに牽制し合うことで、単独での行動を抑制できる」

「しかし…」

と三成が口を開いた。

「五大老の権限は、明確に分けるべきではないでしょうか。このままでは、家康殿の影響力が…」

秀長は首を横に振った。

「いや、それは危険だ。今は団結が必要な時。権限を分ければ、必ず亀裂が生じる。わしから各大名への書状を送り、秀頼を盛り立てる体制を固めていく」

三成は言葉を飲み込んだが、その眼差しには不満が宿っていた。

「では、明日にも五大老をお呼びになりますか?」

増田が問うた。

「いや、まずはわしから家康に直接会いに行く」

一同の顔に驚きの色が広がった。

「しかし…」

高虎が懸念を示す。

「心配無用」

秀長は静かに言った。

「家康は理があれば従う人だ。太閤の遺志と、秀頼様の将来、そして何より天下安寧のために、共に力を合わせることが最善と説く」

秀長は立ち上がり、窓の外を見た。
夕暮れの空が、朱色に染まり始めていた。

「伏見城から江戸城までの道のりは遠い。しかし、この国の平和のためなら、わしはどこへでも赴く覚悟だ」


東海道を行く一行の先頭に、秀長の姿があった。
家臣の反対を押し切り、秀長は自ら家康に会いに行くことを選んだ。
わずかな護衛のみを伴い、軽装での旅路だった。

「殿、このようなご決断は…」

高虎が馬上で言った。

「策を巡らすだけでは、心は通じぬ」

秀長は穏やかに答えた。

「家康は信長公の時代から知っている。顔を合わせれば、理解してくれるだろう」

秀長は空を見上げた。
雲一つない青空が広がっていた。

「信用できぬ相手とこそ、まず誠意を示さねばならぬ。兄上がわしに教えてくれたことだ」

江戸城の一室で、徳川家康は秀長を迎えた。
家康は、相変わらず厚い胸板と威厳ある態度で、座についていた。

「遥々おいでくださるとは…」

家康の言葉には、軽い驚きと敬意が混じっていた。
秀長が単身、徳川の本拠地に乗り込んでくるとは予想していなかったのだろう。

「太閤様のご遺志をお伝えするには、書状ではなく、直接お会いするのが筋と考えました」

秀長は静かに答えた。

家康は黙ってうなずいた。

「まずは太閤様のご冥福をお祈りいたします。あの方がおられなくなった今、この国の行く末を案じておりました」

秀長は家康の目をまっすぐ見た。

「家康殿。今こそ、我らが手を取り合うべき時です。秀頼様はまだ幼い。しかし、太閤の血を引く正統な後継者。家康殿のようなお方が支えてくだされば、きっと立派な主君になるでしょう」

家康は静かに茶碗を持ち上げ、一口啜った。

「秀長殿。私も太閤には多大な恩義を感じております。しかし…」

「しかし、天下安寧が第一とお考えですね」

秀長が言葉を継いだ。

家康はわずかに表情を変えた。

「その通り。混乱があっては民が苦しむ」

「さすれば、なおさら手を組むべきです」

秀長は前に乗り出した。

「太閤は生前、五大老・五奉行の体制を構想していました。家康殿を筆頭に、前田利家殿、上杉景勝殿、毛利輝元殿、そして私が大老として秀頼様を支える。これなら、諸大名も不満はないはず」

家康の目が細くなった。

「上杉とわしが共に大老…」

「互いに牽制し合える布陣こそが、最も釣り合います」

秀長は穏やかに微笑んだ。

「そして何より、各々の大老には相応の恩恵も考えております」

「ほう?」

「関東全土を家康殿の監督下に。上杉殿には出羽・陸奥を。毛利殿には西国を。前田殿には北陸を。そして私は畿内を固める。この五分割であれば、力の均衡は保たれましょう」

家康は黙って考え込んだ。
やがて、ゆっくりと口を開いた。

「秀長殿の言うも一理ある。ただ、石田三成はどうする?三成はわしを快く思っていない」

「三成は奉行筆頭として、政務を担当いたします。政務と軍事を分けることで、均衡を保ちます」

家康は静かに笑った。

「よく考えておられる。しかし、この体制が長く続くとお思いか?」

「続かせるために、私はここにいるのです」

秀長は真摯に答えた。

「家康殿。かつて信長公が夢見た天下。兄・秀吉が築いた太平の世。それを次代に引き継ぐ責任が、我らにはあるのではないでしょうか」

家康の目に、かすかな光が宿った。

「承知した。わしも五大老の一人として、秀頼様をお支えしましょう」

秀長はわずかに肩の力を抜いた。
第一歩は、踏み出せたようだ。


伏見城の大広間。
五大老と五奉行が揃い、秀頼を中心に正式な政権発足の儀式が行われていた。
秀長の隣には徳川家康の姿もあった。

儀式の後、秀長は秀頼を自分の居室に招いた。
幼い秀頼は、父親譲りの鋭い目を持っていた。

「秀頼、わかっているか。お前は今、この国の主なのだ」

秀頼は小さく頷いた。

「叔父上がそばにいてくださるなら、大丈夫です」

秀長は微笑み、秀頼の頭を優しく撫でた。

「そうだ。わしがいる。だが、いつかはお前一人で立つ日が来る。その時のために、今から学んでおくのだ」

「はい。父上のように…強くなります」

秀長は静かに首を横に振った。

「強さだけではない。この国を治めるには、誠意と慈しみの心が必要だ。太閤であるお前の父は強かった。だが、時に強すぎたがゆえに、傷つけてしまわれた」

秀頼は不思議そうに秀長を見上げた。

「叔父上は…父上のことを認めていないのですか?」

秀長は静かに窓の外を見た。

「いや、違う。兄上は偉大だった。だが、完璧な人間などいない。わしらは過ちから学び、より良い道を見つけていくのだ」

秀長は懐から小さな薬壜を取り出した。
南蛮から取り寄せた薬が入っていた。
かつて自分の命を救った薬と同じものだ。

「これを持っておけ。いつか必要な時が来るかもしれん」

秀頼は慎重に薬壜を受け取った。

「これは…何ですか?」

「希望だ」

秀長は静かに答えた。

「どんな暗い夜も、必ず夜明けがくる。この薬は私にとって、夜明けだった」

障子の外では、日が沈みかけていた。
西の空が赤く染まり、やがて紫へと変わっていく。
秀長はその色の変化を見つめながら、静かに言った。

「秀頼。お前が太閤として育つ道のりは、決して平坦ではないだろう。だが、恐れることはない。お前の周りにはわしらがいる。そして何より、お前の中には太閤の血が流れている」

秀頼は小さな拳を握りしめた。

「叔父上。私、頑張ります」

「うむ」

秀長は秀頼の肩に手を置いた。
外庭からは、夕刻を告げる鼓の音が聞こえてきた。

「ドンドンドン」

「聞こえるか、秀頼。あの鼓の音は、新しい時代の幕開けを告げている。太閤亡き後の世を、我らが共に築いていくのだ」

城下町に灯りが灯り始め、やがて夜の帳が降りていった。
しかし秀長の心の中では、既に夜明けの光が差し始めていた。
新たな秩序の礎は、確かに築かれたのだから。


伏見城の一室で、秀長は一人。
夜も更け、城内は静まり返っている。
筆を走らせ、各地の大名たちへの書状を認めていた。

「秀長様」

障子の外から声がした。
石田三成だった。

「入れ」

三成は静かに入り、秀長の前に座った。

「家康殿との密会、そして五大老体制、お見事でした」

秀長は筆を置き、三成を見た。
秀長の目には疲労の色が浮かんでいたが、その声は穏やかだった。

「すべては始まったばかりだ。これからが本当の試練だろう」

「はい」

三成は少し言葉を選びながら続けた。

「ですが…家康殿を過信されては」

秀長は穏やかな微笑みを見せた。

「過信はしていない。だが、不信も持っていない。家康には家康の立場と考えがある。それを理解し、活かすことが肝要だ」

「しかし、太閤様の遺児である秀頼様を差し置いて、家康殿の権限があまりに大きいのでは…」

秀長は静かに首を横に振った。

「三成。お前の忠義の心は理解できる。だが、今は力の均衡が必要な時だ。秀頼はまだ幼い。秀頼が成長するまでの間、我らは協力して天下を支えねばならぬ」

「ですが…」

「聞け」

秀長は声を和らげながらも、毅然と言った。

「兄上は力で天下を取った。だが、力だけでは天下は治まらぬ。我らには誠意が必要だ。家康殿も、そして上杉殿も、毛利殿も、すべての大名が納得する形で進めていくこそが、真の太平への道だ」

三成は沈黙した。
秀長は光成の肩に手を置いた。

「お前の正義感と行政手腕は必要だ。だが、時に柔軟さも必要だ。五奉行筆頭として、お前の力を貸してほしい」

三成はようやく顔を上げた。

「…承知いたしました。秀長様のご判断に従います」

秀長は静かに微笑んだ。

「明日からは、各地の検地と税制改革を進めよう。農民の負担を減らしつつ、安定した収入を確保する策を考えてほしい」

三成の目に、かすかな光が戻った。

「はい。では早速、案を練り上げます」

三成が退室した後、秀長は再び筆を取った。
障子の外から、遠くで鼓の音が聞こえた。
深夜の時刻を告げる音だ。

「ドンドンドン」

秀長は筆を走らせながら、心の中で思った。

「兄上、見ていてください。あなたが夢見た天下太平を、きっと実現してみせます」

筆先から墨が滴り、紙に広がった。
それはまるで、夜空に広がる星のようだった。
新たな秩序の下、天下太平に向かう兆しのように。

 

第四章 交錯する野心

空が白み始める頃、伏見城の一室で、藤堂高虎は静かに秀長の前に座っていた。
秀吉の死から半年が過ぎていた。

「上杉景勝殿の動きが気になります」

高虎の声は低く、部屋の静寂さを乱さぬよう配慮されていた。

「何があった?」

秀長は眉をひそめた。

「会津の上杉家から、家康殿の領国との境界で軍勢の動きが確認されております。諜報の報せによれば、上杉殿は関東に隣接する城の修繕と兵糧の備蓄を始めたとのこと」

秀長は長い溜め息をついた。
五大老体制が発足して以来、表面上は平穏が保たれていた。
しかし、水面下では様々な緊張が高まりつつあった。

「上杉殿が動けば、必ず家康殿も警戒する。これは避けねばならん」

「既に遅いやもしれません」

高虎は慎重に言葉を継いだ。

「江戸からの報せでは、家康殿は上杉討伐の密命を幕僚に下したとの噂が」

秀長は、大きく息をした。
朝もやの中、城下町が徐々に息を吹き返し始めていた。

「五大老筆頭として、家康が単独で軍を動かすことは許されぬ。すぐに使者を出そう。上杉、家康、両方に」

「しかし、両家の溝は深いです。上杉殿は先代謙信公の時代から徳川に対して…」

秀長は静かに高虎の言葉を遮った。

「だからこそ、わしが出向く」

高虎の目が見開かれた。

「殿、それは…」

「迷っている時間はない。まず上杉の元へ行き、その後に江戸へ向かう」

「それでは、三成殿は…?」

秀長は小さく首を振った。

「三成は伏見に残り、政務を執らせる。同行すれば、家康殿との会談は複雑になる」

高虎は静かに頷いた。
石田三成と徳川家康の不和は、もはや公然の事実であった。

「出立の準備を整えます」

高虎が退室した後、秀長は再び障子の外を見つめた。
朝霧の向こうに、日の出が見え始めていた。


会津の地は、春の訪れを告げる若葉に彩られていた。
上杉景勝の居城・会津若松城に到着した秀長一行を、景勝自らが出迎えた。

「遥々お越しくださるとは、秀長殿」

景勝は、武将らしい凛々しさと、名家の当主としての気品を兼ね備えていた。
その背後には、軍師・直江兼続の姿もあった。

「お招きでもないのに突然参上し、失礼いたしました」

秀長は穏やかに応じた。

若松城の一室で、秀長と景勝が向かい合って座った。
侍従たちは退けられ、二人きりでの対談が始まった。

「秀長殿がわざわざ来城されるとは…何か急ぎの御用でも?」

景勝の声には警戒心が混じっていた。

「遠路遥々来たには理由がある」

秀長は切り出した。

「上杉殿の近況に、懸念を抱いている者がいる」

景勝の表情が硬くなった。

「それは…徳川殿のことでしょうか」

「そうだ。家康殿は、上杉家の軍備増強を脅威と見なしている」

景勝は小さく舌打ちした。

「私は自領を守っているだけです。徳川家が関東に広大な領地を持ち、常に会津を圧迫しています。自衛は当然のこと」

秀長は静かに頷いた。

「お気持ちはよくわかる。だが、今は自衛という名の下に火種を増やす時ではない」

「では、どうしろというのです」

景勝の声にはわずかな苛立ちが混じった。

「じっと手をこまねいて、家康殿の覇権を見ていろとでも?」

「そうではない」

秀長は穏やかに答えた。

「わしが申したいのは、今は秀頼様を中心とした天下が何より大切だということだ」

「私も秀頼様のためを思ってこそ、家康殿の横暴を抑えねばならぬと申しているのです」

秀長は一瞬目を閉じ、言葉を選んだ。

「景勝殿。わしは五大老の一人である家康殿を疑っているわけではない。だが、景勝殿の懸念も理解できる。そこで案がある」

「何でしょう」

「伏見城に来ていただけぬか。秀頼様に拝謁し、五大老合議に参加していただきたい。そこで家康殿とも直接…」

景勝は黙り込んだ。
やがて静かな声で言った。

「…その案は検討いたします」

秀長はさらに言葉を続けた。

「そして、会津の城の修繕は継続していただいて構わない。だが、軍備増強と兵糧の過剰な備蓄は、中断していただけぬか」

「それは…」

「これは命令ではない。上杉家の自主的な判断として、風向きが変わるまでの措置だ」

景勝は長い沈黙の後、ゆっくりと頷いた。

「承知しました。秀長殿のお言葉に従います」

その日の夕刻、秀長は景勝と、そして軍師・直江兼続を交えて杯を交わした。

「秀長様」

兼続が静かに語りかけてきた。

「私めから一言よろしいでしょうか」

「何なりと」

「徳川殿の野心は、我らの想像を超えているのではないかと危惧しております」

秀長は杯を置き、兼続の目をまっすぐ見た。

「何と?」

「徳川の元を訪れる大名の数が、日に日に増しているとの報せが。まるで…」

「まるで独自の政権を築いているかのようだと?」

兼続は静かに頷いた。

「そうです」

秀長は杯を再び手に取り、酒を一口含んだ。

「家康殿の力は、確かに強大だ。だが、忘れてはならぬ。この国の主は豊臣秀頼であり、我ら五大老はあくまでその補佐役に過ぎない」

「しかし…」

「時に、勢力は表裏を成すもの」

秀長は言葉を継いだ。

「徳川の強大さゆえに、他の大名たちは団結する。その均衡こそが、天下太平を支えているのだ」

兼続の目に、一瞬の驚きが浮かんだ。
そして、理解の色が広がった。

「なるほど…抑止力ですか」

「その通り」

秀長は微笑んだ。

「家康殿が強大であるからこそ、上杉家も毛利家も前田家も、互いに結びつく。そのバランスが崩れなければ、天下は安泰だ」

景勝が静かに言った。

「秀長殿の慧眼には感服いたします。私も伏見に参りましょう」


江戸城への旅路は、春の穏やかな日差しの中で続いた。
秀長の一行は、東海道を着実に進んでいた。

「殿」

高虎が馬を並べて言った。

「上杉殿との会談は成功したようですね」

「うむ。景勝殿は誠実な人物だ。話せば必ずわかってくれる」

「しかし、徳川殿は…」

秀長は笑みを浮かべた。

「家康殿は老獪だ。だからこそ、この先の会談では率直さが必要だろう」

東海道の旅の途中、秀長の一行は箱根の関所に差し掛かった。
そこで一行を待っていたのは、徳川家康の使者であった。

「秀長様、家康公が江戸ではなく、駿府でお待ちしております」

秀長は高虎と視線を交わした。
駿府は家康の隠居所として知られ始めていた場所だった。

「そうか。では、駿府に向かおう」

駿府城に到着した秀長を、家康は穏やかな笑顔で迎えた。

「秀長殿、またもお越しくださり光栄です」

応対は丁重だったが、家康の目は冷静に状況を見極めようとしていた。

「家康殿」

秀長は率直に切り出した。

「会津から参りました」

家康の目がわずかに細められた。

「上杉殿とお会いになられたか」

「左様。景勝殿にお願いをしてきた。軍備増強を中断し、また近々伏見へ参る意向だ」

家康は静かに頷いた。

「それは…良いこと」

「そして」

秀長は続けた。

「家康殿にもお願いがある」

「何でしょうか」

「上杉に対する討伐計画を白紙に戻していただきたい」

一瞬、室内に緊張が走った。
家康の表情が硬くなる。

「わしは上杉家の不穏な動きに、警戒を強めているだけ」

「だが、それが景勝殿の警戒心をさらに煽っている。互いに疑心暗鬼では、秀頼様の天下泰平はない」

家康は長く黙り込んだ。
やがて、ゆっくりと口を開いた。

「秀長殿。わしは天下のために動いている。上杉は常に北からの脅威となり得る。上杉家の行動を見過ごせば、関東は危うい」

秀長は前に乗り出した。

「それは承知している。だからこそ、五大老の合議で話し合うべき。単独での軍事行動は避けていただきたい」

「しかし…」

「家康殿」

秀長の声は静かながらも力強かった。

「徳川殿は関東の安定のためと言われる。私は天下の安寧のために申し上げている。どちらが太閤の遺志に沿うでしょうか」

家康の表情が変わった。
一瞬の驚きの後、深い考え込みの色が広がった。

「…では、上杉討伐は保留とする」

家康はようやく言った。

「だが、上杉が再び不穏な動きを見せれば、再考する」

「それで充分だ」

秀長は安堵の表情を見せた。

「五大老の合議によって、この国の政は進めるべきだ」

家康は茶を啜り、秀長を見つめた。

「秀長殿は、いつも私の手を縛ろうとする」

「縛るのではない。共に歩むためです」

家康の目に、わずかな敬意が宿った。

「相分かった。では、五大老合議を急ぎましょう」


伏見城に戻った秀長を、石田三成が急ぎ足で出迎えた。

「秀長様、ご無事で何より」

「三成、留守中ご苦労であった」

二人は秀長の居室に入った。
秀長は旅の疲れを見せずに、まっすぐ座った。

「どうでした?」

三成が尋ねた。

「上杉も家康も、一応の納得を得た。軍事衝突は当面回避できるだろう」

三成の表情に安堵の色が浮かんだが、すぐに曇った。

「しかし、根本の解決には至っていないのでしょう」

「その通りだ」

秀長は静かに頷いた。

「ただ時間を稼いだに過ぎない」

「徳川殿の野心は…」

「今は抑えておる」

秀長は三成の言葉を遮った。

「だが、油断はできん。これからが正念場だ」

「では、どうすれば」

秀長は扇子を開き、軽く仰いだ。

「毛利殿と前田殿の協力が鍵となる。五大老が一致団結すれば、誰一人として単独行動はできまい」

「しかし、前田殿と家康殿は親しい間柄。毛利殿は…」

「それぞれに立場があるのは当然だ」

秀長は穏やかに言った。

「だが、共通の利もある。それは、国の安定だ」

三成は眉をひそめた。

「しかし、それぞれが己の利を優先すれば…」

「だからこそ、我らの手腕が試される」

秀長は前に乗り出した。

「伏見で五大老合議を開く。そこで秀頼様の御前で、改めて大老の責任と権限を明確化する」

「それは…良いお考えです」

三成の声に活気が戻った。

「さらに、検地の継続を宣言する。これにより、全国の石高を正確に把握し、公平な政治の基盤とする」

三成の顔に、わずかな笑みが浮かんだ。

「まさに私が望んでいた政策です」

「そうであろう」

秀長も微笑んだ。

「三成、お前の政務手腕が今こそ必要だ。五奉行を率いて、この国の政を支えてほしい」

三成は深く頭を下げた。

「この身、命に代えてお仕えいたします」

秀長は障子の外を見た。
夕日が伏見城の屋根を赤く染めていた。

「ただ一つ、心に留めておいてほしいことがある」

「何でしょう」

「家康殿を敵視するのではなく、協力者として見るのだ」

三成の表情が一瞬こわばった。

「それは…難しいことを」

「難しいからこそ価値がある」

秀長は真摯に言った。

「兄・秀吉は力で天下を取った。だが、我らは誠意で天下を治めねばならぬ」

三成は静かに頷いた。

「承知いたしました。」

秀長はわずかに安堵の表情を見せた。
その時、鼓の音が聞こえてきた。

「ドンドンドン」

「夕刻の太鼓だ」

秀長は静かに言った。

「一日の終わりを告げる音。だが、我らの仕事はまだ始まったばかりだ」


伏見城は各地から集まった大名たちで賑わっていた。
五大老と五奉行による合議が開かれるのだ。

大広間では、幼い秀頼が正座していた。
その隣に秀長、そして前には徳川家康、前田利家、毛利輝元、上杉景勝が並んでいた。
五奉行も控え、まるで太閤存命中の御前のような厳かな空気が漂っていた。

「本日はお集まりいただき、感謝申し上げる」

秀長が口火を切った。

「太閤亡き後、早くも一年が経とうとしている。天下太平のため、我ら五大老が一致団結して秀頼様を支えることを、改めて誓いたい」

各大名が静かに頷いた。

「まず、五大老それぞれの責務を確認したい」

秀長は続けた。

「徳川殿には関東を中心とした東国の安定を、上杉殿には奥州・出羽の統括を、毛利殿には中国・九州地方の監督を、前田殿には北陸の統治を。そして私は畿内を固め、秀頼様の後見を務める」

各大老は黙って聞いていた。

「そして、軍事と政務は明確に分ける。軍事は五大老が、政務は五奉行が担当する。これにより、軍事と政の均衡を保ちたい」

家康が静かに発言した。

「秀長殿の構想に賛同いたします。ただ、五大老の権限はより具体的に定めるべきかと」

「その通り」

毛利輝元も口を開いた。

「大名の移封や処罰など、重大事項に関しては」

「もっともな意見だ」

秀長は頷いた。

「重大事項は、必ず五大老の合議制とする。大老単独で決定できないものとしたい」

これに五大老みな同意した。

「さらに」

秀長は秀頼を見やりながら続けた。

「検地の継続を宣言したい。石田奉行に詳細を」

三成が前に進み出た。

「はっ。全国の石高を正確に把握し直し、公正な年貢と軍役の基準を設けます。これにより、国と農民の双方が納得できる制度を」

合議は長時間に及んだが、最終的に五大老は合意に達した。
秀頼の後見体制と、五大老の権限分担が明文化されたのだ。

合議の後、秀長は家康と二人きりで話す機会を持った。

「秀長殿」

家康はゆっくりと言った。

「本日の合議、お見事でした」

「家康殿の協力があってこそ」

家康はわずかに微笑んだ。

「わしも、天下太平を望んでいます。ただ…」

「ただ?」

「世は常に変わるもの。今日の合意が、明日も通用するとは限りません」

秀長は静かに家康を見つめた。

「その通りです。だからこそ、我らは合議し、調整していく必要がある」

「上杉殿との一件も、秀長殿のおかげで大事には至らなかった」

家康は続けた。

「だが、次はどうなるか…」

「次があってはならぬ」

秀長は静かに言い切った。

「我ら五大老は、太閤の遺志を継ぐ者として、秀頼様のために力を合わせるべきです」

家康は長い間黙っていた。
そして、ようやく口を開いた。

「…その通り」

二人の間に静寂が流れた。
やがて、宮中からの使者が到着したとの知らせが入り、会談は中断した。

秀長は廊下を歩きながら、家康との会談を思い返していた。
家康の言葉の裏には、まだ野心が潜んでいるようだ。
だが、それを表に出さず、合意の枠組みの中に導くことが、今の秀長の役目であった。

伏見城の回廊を歩きながら、秀長は空を見上げた。
夕暮れの空に、一羽の鷹が悠々と舞っていた。

「まだ道は遠いが…」

秀長は心の中で呟いた。

「必ず、この国を強固にしてみせる」

秀長の耳に、夕刻を告げる鼓の音が響いた。

「ドンドンドン」

それは、新しい時代の脈動のように思えた。
秀長が一歩一歩、築き上げていく太平の足音のように。

 

第五章 戦なき関ヶ原

天下を獲る決断をした徳川家康が遂に動いた。
江戸を出た徳川連合軍は、西進していた。

近江国の朝は、異様な静けさに包まれていた。

霧の立ち込める中、どこからともなく鼓の音が響き渡る。

「ドン、ドン、ドン」

まるで大地の鼓動のように。

美濃国境に近い石田三成の陣営では、すでに兵が整列していた。
五万の軍勢が、東の空がほのかに白み始める中、息を殺して待機していた。

「いよいよでございますな」

黒装束の藤堂高虎が、豊臣秀長の陣幕に姿を現した。
夜通し諜報を集めていたらしく、目の下には疲労の色が見えた。

「家康はどうだ」

秀長は静かに問うた。
六十を過ぎた体には、すでに老いを感じさせるが、その眼差しは冷静そのものだった。

「予定通り、関ヶ原へ向かっております。総勢七万とも言われますが、後方部隊はまだ集結しておりません」

高虎の報告に、秀長はわずかに頷いた。
脇に控えていた石田三成が前に進み出る。

「秀長様、あの徳川を今ここで叩くべきです。関ヶ原の地形は我らに有利、これ以上の好機はありません」

その声には切迫した響きがあった。
三成の顔には、これまでの緊張と敵愾心が刻まれている。

「焦るな、三成」

秀長は静かに言った。

「我らがしたいのは戦ではない。和平だ」


関ヶ原の霧中、徳川家康は不安を覚えていた。

予定では、石田軍を挟撃する手はずだったが、加藤清正、福島正則らの軍も姿を見せない。
西からの大谷吉継や宇喜多秀家の動きも鈍い。

「何かおかしい」

老獪な家康は、すぐに異変を察知した。
陣中に風雲を告げる緊張が走る。

そのとき、東の空から一羽の鷹が舞い降りた。
家康の使者だ。

「殿! 加藤、福島両軍は豊臣秀長殿に止められております!」

「何?」

家康の顔が強張る。

同じ頃、石田三成の元にも報告が届いていた。

「大谷、宇喜多両軍は秀長殿の命により、動きを止めております」

三成は激しく歯噛みした。

「このままでは戦が始まらん…」


三日前、秀長は密かに各大名に使者を送っていた。
加藤清正と福島正則には、秀頼の名で西軍との戦闘を禁じる朱印状。
大谷吉継と宇喜多秀家には、三成を孤立させないよう、しかし全面衝突も避けるよう指示した密書。

そして何より、徳川家康への心理戦だった。

「いかがいたしますか」

家臣が問うた。

秀長は静かに言った。

「藤堂、頃合いだ」

「御意」

高虎は姿を消した。

関ヶ原の霧の中、一部で小競り合いが始まった。
西からは石田軍の一部が、東からは家康の部隊が衝突。
しかし、それは全面戦争の火蓋ではなく、互いの力を示す程度の衝突に留まった。

石田三成は怒りに震えていた。

「なぜ我らの兵を止めるのです! 今こそ徳川を倒すべき時!」

一方、家康も苛立ちを隠せない。
後方の援軍は動かず、前方からの攻撃も小規模なものだった。
これでは決戦にならない。

そのとき、中央から一団の騎馬が現れた。

「豊臣秀長公、御到着!」

両軍の兵士たちの間に、驚きの声が広がった。


関ヶ原の戦場から少し離れた妙応寺に、豊臣秀長、徳川家康、石田三成が会した。

「各々の野望はわかっておる」

秀長は穏やかに語り始めた。

「だが、戦は国を滅ぼす。我らは太閤殿下の天下太平を守るため、血を流さぬ道を選ぶべきだ」

家康は目を細めた。

「秀長殿、しかし…」

秀長は言った。

「家康殿、関東の統治に専念されよ。江戸を中心に、新しい都をつくる。貿易、開発、すべてを任せる」

家康の目が光った。
西国から遠く離れ、独自の基盤を築く。
それは実質的な分国統治に等しい。

「三成」

秀長は続けた。

「お前は京に残り、朝廷との調整役を。秀頼公の後見として、政務を任せる」

三成は黙って頭を垂れた。
それは敗北ではない。
三成の理想とする政治を実現できる役目だった。


関ヶ原での全面戦争は起きなかった。
代わりに、日本は東と西に分かれた。
表向きは豊臣政権の継続。
実質は東の徳川、西の豊臣という二極体制の始まりだった。

「これで良かったのでしょうか?」

高虎が問うた。

秀長は夕暮れの空を見上げた。

「戦なき勝利だ。勝者も敗者もない。だが、民は生き延びる」

高虎は理解した。
他の誰にもできない、秀長だけの選択だった。

「しかし、いずれ家康は…」

「いずれの時は、いずれの者が考えるだろう」

秀長は薄く笑った。

「わしの役目は、次代に太平の世を渡すこと。あとは次代が決める」

夕暮れ時、再び鼓の音が響いた。

「ドン、ドン、ドン」

戦なき関ヶ原は、日本の歴史を静かに変えていた。


その冬、各地の大名は、配置が変更された。
家康に従った大名たちは関東へ。
三成に近かった大名は西国へ。

処罰ではなく、それぞれが新たな役割を与えられた。
関東開発、西国の安定、北方警備、海外交易。
国全体が動き始めた。

京では、秀頼を中心とした朝廷との関係強化が進められ、三成の理想とする官僚政治が少しずつ形になっていった。

江戸では、家康が精力的に土地整備を進め、東の新しい中心地として発展し始めていた。

そして近江の隠居所で、秀長は静かに茶をたてていた。

「殿、よろしいのですか」

側仕えの者が問うた。

「このまま徳川家が力をつけると…」

秀長は微笑んだ。

「兄上は言われた。『天下は褒美ではない、預かりもの』とな」

秀長は遠くの空を見た。

「我らの役目は、次代の橋をかけること。その先は、次代が決める」

外では、早春の風が吹き始めていた。


紅葉が色づき始めた京都。
二条城の一室で、秀長は徳川家康と静かに対峙していた。
関ヶ原での和議から二ヶ月、両者の間には微妙な緊張が漂っていた。

「秀長殿、よくぞわしを止められた」

家康は茶碗を手に取りながら言った。

「関ヶ原で全面戦になっていれば、どちらが勝っていたか…」

「勝敗など意味がなかったでしょう」

秀長は穏やかに答えた。

「残るのは焦土と、数万の命の重さのみ」

家康は鋭い目で秀長を見つめた。

「それでも、豊臣家と徳川家、いずれは…」

「いずれは、ですか」

秀長はわずかに微笑んだ。

「人は死に、時代は移る。ただ、その移り方が戦か太平か、それを選ぶのが我らの役目ではないでしょうか」

秀長は袖から一枚の文書を取り出した。

「これは大名の配置転換と、新たな職務の割り当てです。東は家康殿に、西は豊臣家に。表向きは一つの国、実質は二つの統治」

家康は文書に目を通し、ゆっくりと頷いた。

「太閤亡き後、これほど巧みに国を守れる者はいない」

「巧みではなく、静かに」

秀長は言った。

「鼓は激しく打ち鳴らさず、静かに拍子を刻むもの。それが私の役目です」


同じ頃、伏見城では石田三成が苦悩していた。
関ヶ原での決戦を望んだ三成にとって、この結果は不本意だった。

「なぜ家康を討たせてくださらなかったのですか」

三成は秀長の前で不満を露わにした。

「あの男はいずれ裏切る。それは明らかなこと」

秀長は静かに答えた。

「三成、お前の目指す理想の国とはなんだ?」

「法と秩序に則った、太閤殿下の意志を継ぐ国です」

「ならば、その国を作るために力を注げ」

秀長は立ち上がり、三成の肩に手を置いた。

「戦で争うことより、天下安寧を維持するほうが難しい。だがそれは、お前にこそできることだ」

三成は沈黙した後、深く頭を下げた。

「…承知いたしました。私は政務に励みます」

この日から三成は、秀頼政権の中核として、京の政務に専念することになった。

三成の周りには黒田官兵衛も加わり、豊臣政権の官僚機構が整備されていった。


春、新たな均衡を保っていた。

江戸では家康が精力的に土地整備を進め、商業や交易の拠点として発展させていた。
全国の大名たちは東西に分かれ、対立することなく、それぞれの地で発展に努めていた。

関ヶ原後の論功行賞も、静かに行われた。
東西の大名たちが、それぞれの領地と役目を与えられていた。

「驚くべきことです」

黒田官兵衛は秀長に言った。

「戦なき論功行賞。これほど珍しいことはない」

秀長は微笑んだ。

「家康の野心を江戸の開発に向けさせ、時間を稼いだ。あとは秀頼公が成長するまでの辛抱だ」

官兵衛は秀長をじっと見た。

「それでも、家康は黙っていないでしょう」

「その時は、その時の人が対処するだろう」

秀長は障子の外を見た。

「我らの役目は橋を架けること。渡るのは次代だ」


冬、秀長は体調を崩し始めていた。
六十を超えた体には、もはや政務の重圧が堪えるようになっていた。

ある日、近江の隠居所で、秀長は大きくなった秀頼を迎えた。
少年は凛々しく成長し、父・秀吉の面影を残しながらも、より落ち着いた雰囲気を持っていた。

「叔父上、お体は?」

秀頼は心配そうに尋ねた。

「心配はご無用」

秀長は微笑んだ。

「時が来た」

二人は庭に面した縁側に座った。
秀長は小さな箱を秀頼に手渡した。

「これは…」

「かつて私を死の淵から救った南蛮薬の壜だ」
秀長は言った。
「もう中身はない。だが、私に与えられた時間が、天下太平を生んだ」

秀頼は静かに頷いた。
幼くとも、その意味を理解できる年齢になっていた。

「秀頼よ、父上は太陽のように輝き、国を統一した。私は月のように静かに夜を照らした。そして今度は、お前が新しい夜明けをもたらす番だ」

庭の向こうから、かすかに鼓の音が聞こえ始めた。

「叔父上、あの音は?」

「夜明けを告げる鼓だ」

秀長は穏やかに微笑んだ。

「急がず、焦らず、しかし確実に。お前の時代が始まる」

 

終章「夜明けに鳴る鼓」

春、豊臣秀長はこの世を去った。

その死は静かなものだった。
まるで長い旅路が終わり、安らかな眠りについたかのように。
葬儀には、多くの大名が集まった。
東からは家康も弔問に訪れ、西の諸大名とともに、この偉大な仲介者を偲んだ。

「このような男は二度と現れないだろう」

家康は弔問の席で呟いた。

「太陽の輝きに隠れながらも、静かに夜を照らした月のような男」

石田三成は無言で涙を流した。
三成にとって秀長は、単なる主君ではなく、理想を共有した師でもあった。

「秀長公の意志を継ぎます」

三成は家康に静かに言った。

「戦なき天下を」

家康も頷いた。

「そなたらの時代の役目じゃ」


豊臣秀頼は元服した。
父・秀吉の血を引きながらも、叔父・秀長から学んだ穏やかさと誠実さを備えていた。

京の政務は石田三成を中心に、加藤清正や福島正則ら武断派も加わった合議制で進められた。

江戸では家康が独自の幕府体制を整え、形式上は豊臣家に仕えながらも、実質は独立した統治を行っていた。

国内は安定し、海外との交易も盛んになっていた。
秀長が描いた「戦なき天下」は、着実に根付いていた。

「秀長公が残した天下は、何年続くであろうか?」

ある日、藤堂高虎が三成に問うた。

「永久に続くとは思わぬ」

三成は答えた。

「だが、我らが生きている間は…いや、少なくとも秀頼公が成長し、次代が育つまでは」


秀頼十七歳の時。
秀頼は近江の湖畔に立っていた。
かつて叔父・秀長が愛した場所だ。

手の中には、空の南蛮薬の壜。
そしてもう一方の手には、小さな鼓があった。

「叔父上」

秀頼は空に向かって語りかけた。

「私は父上のような太陽にも、叔父上のような月にもなれぬやもしれない。ただ、この国に安寧の光をもたらす、夜明けの星になりたい」

秀頼は静かに鼓を打ち鳴らした。

「ドン、ドン、ドン」

その音は湖面に反響し、微かに揺れる波紋となって広がっていった。

「秀頼公」

背後から呼ぶ声が聞こえた。
石田三成だ。

「江戸より家康公の使者が」

秀頼はゆっくりと振り返り、微笑んだ。

「迎えよう。戦なき天下を続けるのだ」

秀頼が歩み去る後ろで、鼓の音は静かに、しかし確かに響き続けていた。
それは秀長が残した鼓動。
戦なき夜明けへと続く、太平の音色だった。

 

2026年NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公は豊臣秀長

2026年NHK大河ドラマ【豊臣兄弟!】主人公は豊臣秀長!
2024年3月12日、2026年(令和8年)のNHK大河ドラマ第65作が『豊臣兄弟!』に決まりました。派手な兄秀吉と比べると、地味で温厚篤実な弟。秀吉の出世の陰に隠れてしまいがちな秀長ですが、兄を励まし、支え、ときに諌める。「天下一の補佐役」と称され、人徳は兄を凌ぐほどの器。

 

三国志の創作小説

私とAIが描いた「もうひとつの三国志」第一弾 鳳雛の翼
軍師のいなかった劉備は、ふたりの天才軍師を傘下に入れた。荊州南部を手中に収めた劉備軍団であったが、蜀平定戦で鳳雛を失ってしまう。鳳雛とは、龐統、字は士元のことで、214年に雒県攻囲戦で流矢に当たり、戦死した。もし龐統が戦死しなかったら、どんな歴史になっていただろうか?そんな歴史の「if」を描いていきます。

 

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